年をとると、欲しいものは減っていくのだと思っていた。
若いころのように、何かを手に入れれば明日が少し変わるような気は、もうあまりしない。靴も鞄も時計も、店先で眺めるだけで済むようになった。必要なものはだいたい揃っていて、足りないものがあっても、わざわざ埋めなくてよい気がする。そういう静けさは、たしかに老いのひとつなのだろう。
ところが、夜明け前だけ、私はときどき妙な品物を欲しがる。
夢の中で、それは硝子の箱に入っている。箱は小さく、骨董屋の棚にでもありそうな古びた真鍮の金具がついている。中身ははっきり見えない。ただ、黒い布の上に、何か細長いものがひとつ置かれていて、それを手に入れなければならない気がするのである。宝石にも見えるし、鍵にも見える。角度によっては、ただの乾いた魚の骨のようでもある。だが夢の中の私は、それを見た瞬間に、ああこれだったのだ、と思う。
何がこれだったのか、自分でもわからない。
目がさめると、部屋はまだ薄暗い。カーテンの下だけ白くなり始めていて、枕元の時計の数字が、夢よりも平板な色で光っている。その時間に私は、ほんの数秒だけ、まだ欲しさを保っている。あの箱はどこにあったのか。あの品物はいくらだったのか。いまならまだ間に合うのではないか。そんな気がして、胸のあたりだけが落ち着かない。
けれど、顔を洗い、湯を沸かし、薬をひとつ飲むころには、その輪郭は少しずつ薄くなっていく。
欲しかったはずのものは、現実の明るさに溶けて、名前のない感触だけを残す。私はそのたびに、老いとは欲が消えることではなく、欲しいものの形が、自分でも確かめられない場所へ移っていくことなのかもしれないと思う。
今朝もまた、目がさめる直前、私はたしかに何かを買おうとしていた。
枕の横に置いた手のひらだけが、まだ少し閉じたままであった。