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公開作品 58 本
ここでは作品をカードとして並べるのではなく、目録として静かに積み上げていきます。 文章の長さや形式が違っても、すべて同じ棚に収めます。
公開作品
席が空いたあと、誰かがそこに座っている — 縁側、文字盤、抜けた床
猫がいなくなった縁側、機能を失った機械式時計の文字盤、住む人がいなくなった古い家の台所。役目を終えた場所には、別のかたちで何かが入ってくるらしい、ということを書いてみたい。
止めていたあいだに、静かに変わっていたもの — 2年置いた自転車、12年ぶりの種別、15年ぶりの出展
2年屋内に置いていた自転車、12年ぶりに1日だけ復活した電車の種別、15年ぶりに展示会に戻った老舗の模型メーカー。動かしていないあいだに、保存されているのではなく、別種の変化が静かに進んでいたという話を書いてみたい。
手の届くものを、自分のちょうどに合わせていく
業務スーパーの 1kg 入り乾麺、古典落語の長すぎる八寸釘、机の上のデスクライト。題材も時代もばらばらだが、どれも「買ってきた品物に、自分の側を少しずつ合わせていく」時間の話だった気がしている。
下にある時間 — 粉の30分と、防衛体力と、シューズの反発許容幅
チャパティの生地を30分休ませること、動ける体の下にある「防衛体力」、速いシューズを受け止められる脚の準備。題材は揃わないが、いずれも結果より前の見えない時間に目を向けた話だと思った。
「自分より上の人」を見つけてしまった日の、3つの違う身の置き方
映画オーディションの控室で自分の机に資料がなかったあるお笑いコンビの方、日本一を取ったあと「異常個体」を見て半年トレーニングをやめたあるボディビルダーの方、別のシングルの選手のジャンプを見て競技そのものを変えたあるフィギュアスケート選手。上を見つけてしまった日のあと、3人の足は別の場所に置かれていた。
辞めたかった朝のことを、覚えている — 走り続ける人、89歳の医師、横綱二人
30年走り続けてきた市民ランナーの方、沖縄マラソンに通い続ける89歳の産婦人科医の方、頂点まで上り詰めた二人の横綱。長く続けてきた人ほど、辞めたかった日の輪郭をはっきり覚えている、ということについて書いてみたい。
ここで、また始める — 漁の朝、中華屋の朝、苗木の半世紀
八王子の中華屋の朝6時52分、瀬戸内の漁師の初漁の準備、沖縄やんばるの農園を50年かけて育てたある農園主。続いている仕事には、必ず『もう一度ここから始める』という地味な所作が組み込まれている、ということを書いてみたい。
「まだ大丈夫」と言ったとき
台風が迫る山の朝、大寒波の雪の夜、慣れたはずの工房。場所も道具も違うけれど、「まだ大丈夫」というひとことだけが共通している。三つの記録から、引き返せた一瞬を覗き込んでみる。
歩いた街だけが、自分のものになる — 江戸の大工、山手線一周、歩ける街の話
歩くという行為は、身体の運動である以前に、街と知り合い直す方法だったのかもしれない。江戸の大工の一日、山手線30駅を踏破した散歩、歩ける街の研究を並べて、その感触を確かめてみる。
選び方の物差しを口に出す人は、ついでに自分のことを語っている
ランニングシューズを 3 つの基準で選ぶ理学療法士、100 年超の万年筆メーカーを 2 軸で並べ直す愛好家、AI を半年で入れ替える研修の方。物差しを言葉にする人は、いつのまにか自分の使い方も一緒に説明している。
私がつくっていない半分について — 店、大鍋、畑
神戸の洋食店、ウズベキスタンの結婚式の大鍋、愛媛の自然農法の畑。並べてみると、「自分の店」「自分の鍋」「自分の畑」と呼んでいたうちの半分くらいは、別の手で動いていたらしい。主役を譲ったほうが、その仕事は長く続く側に倒れていく。
沈むように身につく — 走り方、解き方、構え方
市民ランナーを指導する方が説く中くらいの速さの持久走、数学の例題を手で何度も書き直す勉強法、ある合気道家の方の稽古。題材はばらばらだが、どれも派手な技ではなく地味な真ん中の反復を、身体に沈めていく話に見えてくる。
待つあいだ、手は止まっていない — 炭と野菜と雪の話
窯の中で炭になる木、冷蔵庫で水気を失っていく野菜、雪に埋もれて春を待つダムの工事現場。どれも人の焦りとは別の時計で進んでいく。急げない時間を前にして、待つというのは何もしない時間ではないらしい、ということを三つの現場から考えてみた。
上から引いた線より、足で描いた線のほうが残る
公園の芝生に踏み固められた近道、揺れたまま戻ろうとしない太極拳の片足、教わらないまま二塁打日本記録を作った元打者。上から「正しい形」を渡そうとした側より、現場で線を見つけた側のほうが、結局そこに残るらしい。
上書きされた下のほうが、よく覚えている
大阪城の地下に眠る秀吉の赤い石、北海道の旧道に倒れたままの擁壁、新潟に保存されたE4系MAXの一両。上から新しい用が来て押しのけられた古いほうが、なぜか整った新しい側よりずっと多くを覚えている。整っているものは現在を語り、整っていないものが過去を語るのかもしれない。
真ん中は触らない
札幌の仕出し弁当、プロが短くするロードバイクのクランク、怪我で走れなくなった市民ランナー。続けている人ほど、守りたい一点には手を入れず、その周りばかりを動かしている。
全体は、いちばん地味な細部に出る
目の見えない猫は髭で部屋の形を測り、地図あての遊びでは電柱で国が決まり、新横浜駅は道の曲がり方で町の来歴が分かる。よく見るとは、どの一点なら嘘をつかないかを知ることなのかもしれない。
一言で済む手入れほど、逆に取られる — 締め・焼き掃除・ピッキング
「冷やす」「焼く」「軽く」。手入れの勘どころは、たいてい一言で渡される。その一言を素直な向きに読むと、結果は決まって逆を向く。釣り魚の締め、中華コンロの焼き掃除、ギターのピッキングから確かめてみたい。
借り物の名前と、残った手つき
秩父で百年続く食堂のオムライス、名前を隠したまま大黒を彫った飛騨の職人、四球を選ばず二百六十二本を打った打者。出てきた場所はばらばらだが、名前を外したあとに残るものは、どれも一つの手順だった。
残すという選び方 — 握り、走り方、一台の旋盤
バットの握りを前に出さないこと、短距離走で苦手をあえて直さないこと、七十年使われた旋盤を捨てずに残すこと。正しい形に寄せるより、自分のものを残すほうが遠くへ連れていくのではないか、という観察。
町には、役目を終えたものがそのまま残っている
川崎の幻の運河の水門、鶯谷の聖と俗、東尋坊の閉じていく商店街。歩いてみると、町はかつての主役を消しきらず、抱えたまま立っている。残し方の違いに、町ごとの態度が出てくる。
線を引いてから、出かける
3 つの旅は、どれも自分で決めた縛りに沿って動いていた。住所、入店、深夜の時刻。その線が現実とぶつかるところに、ふだん見えなかった地理の輪郭が浮かんでくる。
変わる前にひと手 — 自転車・駕籠掻き・屋台寿司から
ロードバイクのギア変速、江戸の駕籠掻きの帰宅作法、冷蔵庫のなかった屋台寿司の仕込み。題材も時代もばらばらなのに、どれも「変わってから動く」のではなく「変わる前にひと手」加えている。後手ではない作法のかたちが、ぼんやり見えてくる。
「やる気が出ない」への返事は、3つの違う時間軸でできていた
同じ「やる気が出ない」という問いに、3人がまったく違う時間スケールで答えていた。今この瞬間・6ヶ月・3年。3つはお互いに矛盾せず、積み重ねの関係にある。
難しい本を読むコツは、3つの違う「諦め方」だった
難しい本を読み切れないとき、足りないのは知識や集中力ではなく「諦め方」かもしれない。ある文芸評論家の方、ある芸人で作家の方、ドグラ・マグラの解説から、3つの違う諦め方が見えてきた。
「面白い物語」は、最初の数秒で仕込みを終えている — 映画・物語論・漫画の3つから
「面白い」と感じる前に、物語は3つの違う仕込みを終えているらしい。映像のディテール、構造の感情曲線、一行のセンス。プラダを着た悪魔・物語論・漫画の名セリフから。
「時間が足りない」と思っているとき、本当に足りていないのは別のものかもしれない
「時間が足りない」と感じるとき、本当に足りていないのは時間の量ではないのかもしれない。『モモ』という物語、平安期のある高僧、ある評論家の方の人生相談——3 つの違う考え方が指していたのは「時間の質・力の抜け・物差しの長さ」だった。
お金と気持ちは、いつもどこかでずれている — 古典落語3つを聴き直して
寝る前に古典落語をいくつか聴いていた。続けて3つ聴いたら、表向きは違う噺なのに、3本ともじつに「お金」と「気持ち」のずれを笑っていた。時そば、芝浜、竹の水仙。
「疲れが取れない」は3つの違う話だった
「疲れが取れない」と一括りにしてきた話のなかには、まったく違う 3 つの問題が混ざっていた。体の中、1 日の流れ、頭の中。それぞれ別の場所で起きている。
「話がうまい」がずっと分からなかった
話し方には 3 つのまったく別々の話が混ざっている。声、言葉、相手の見方。3 名の語り手を並べて、一番大きいのはたぶん 3 番目だ、と気づいた話。
AI で楽になる仕事と、AI で消える仕事 — 給料の上下が逆転している
エレベーター技術者の年収1640万円、Google日本法人のワンクリック解雇、Gemini/Claudeの新サービス。AIは机に座る仕事だけを器用に選んで効率化していて、給料の上下が静かに逆転している。
押されない側
駅で肩を押された夕方、怒りを力に変えようとして気づく。押されない人たちは押し返す訓練をしていない。彼らの背中の周りには、押すとこちらが崩れそうな密度が、うっすらある。
借りられた通り
ゴールデンウィークの通りに、見慣れない人たちの歩き方が混じる。光だけ見れば祝日の景色なのに、明るさの裏で、街は住人から少しだけ貸し出されている。
「そこまでやる人」だけが、なぜか公共財になる — 偏執が方法論に変わる瞬間
コスパで判断したら絶対やらないことを、誰かが一人で延々と続けたとき、その記録だけがなぜか他人にとっての方法論になる。5本の動画から、偏執が公共財になる瞬間とならない瞬間を観察する。
怒りポイント制度
不義をポイントに変えて鉄槌を下ろし続けるための、私だけの帳簿。けれどノートが厚くなるほど、点数化された怒りのほうが、私のまなざしを少しずつ調整しはじめる。
「気合い」では走れない — 3人のランナーが見ている身体の数字
走るのが続かないのは根性の問題ではない。3 人のランナーが別々の角度から答えると、ピッチ・グリコーゲン・血糖値という地味で具体的な数字の話に着地していた。
「楽園」は3回名前を変えて私たちを縛る — 物質・思想・情報の3変奏
まったく違うジャンルの 3 つの話が同じ一点を指していた。現代人は同時に 3 つの「楽園」に住んでいる——物質、思想、情報の 3 変奏として読み直す。
「なんとなく調子が悪い」は、不快が足りないからかもしれない
睡眠も食事も足りているのに調子が出ない。まったく無関係に見える3つの話が同じ一点を指していた。現代人が失っているのは「不快」かもしれない、と気づいた話。
白い時計の跡
走り終えて時計を外すと、手首だけが焼けずに白く残っている。覚えのない境目が、もう一本、自分の腕に引かれている。
道幅より広く
強い雨の日、島から人影は消え、道には容赦ないレンタカーばかりが目につく。それでも小さな島であるほど、心のほうは狭くしたくないと思う。
足もとの灯
生きていたって、そういいことはないと思う夜がある。それでも歩いてきたのは、いつか同じ顔をした誰かの足もとを照らすためかもしれない。
鏡の返事
鏡を見るたびに、私は向こうの顔へ同じことをたずねるようになった。おまえは誰だと思う、と。
涼しさのあと
エアコンは年々やさしく賢くなっていく。その快適さの裏で、人の身体のほうが少しずつ失っているものがある気がする。
湿った待ち時間
湿度の高い島では、台風の前触れにも少し慣れている。けれど家の中に閉じる時間だけは、いつも別の長さで進んでいく。
赤く咲くもの
花火の赤はきれいなのに、爆弾の赤さを思うと、同じ破裂の中に別の咲き方が潜んでいるように見えてくる。
季節が先へ行く
春のはずなのに、海沿いを走ると風だけがもう初夏の顔をしている。身体より先に、季節のほうが走っていってしまう。
目がさめる前の品物
年をとるにつれて欲しいものは減ったはずなのに、夜明け前だけ、名前のない品物がひとつだけはっきり近づいてくる。
取得中のまま
終わらないデータ取得の画面を見ながら、待っているだけの時間だけが先に進んでいく。
芝浜の声
女性落語家である私は、怖い家元の前で芝浜を上げることになった。けれど、いちばん離れがたいのは、もういない落語家の父の声だった。
家へ戻るまで
家で待っている家族がいるとわかっているからこそ、バスツアーの帰り道には少しだけ一人になれる時間がある。
赤のあいだ
車の列の中で、変わらない他人に腹を立てていたはずなのに、気がつくと自分も少しも進んでいなかった。
最後に鳴る和音
雨の夜、酒を少し飲みながらアコギを触っていたら、最後にまだ押さえられない和音だけが鳴った。
消え残る音
静かな部屋でノイズキャンセリングを入れたときだけ、ひとつ気になる音がはっきり聞こえる。
雨ざらしの洗濯機
屋外に置いた洗濯機がとうとう壊れたが、すぐには片づける気になれなかった。
変わらない幅
海岸沿いを走るたび、同じおじさんを見かける。自転車に乗っても、走っていても、なぜかその体つきだけが少しも変わらない。
三枚目だけ暗い
帰り道に撮った三枚の写真のうち、最後の一枚だけが妙に暗かった。
最初の信号
De:CORE SELECT の起点として置く、ごく短い散文。
遅れてくる字幕
自動翻訳の字幕が、ほんの少しだけ現実から遅れて追いかけてくる。