睡眠は足りている。食事も摂れている。仕事は回っている。それなのに、なんとなく調子が出ない——。

最近そんな話をよく聞く。私自身も似た感覚を持っていた時期があり、ずっと「足りない何か」の正体を探していた。栄養、運動、睡眠、瞑想、人間関係。どれも当たっているように思えるし、どれも完全な答えにはならない。

ところが最近、ジャンルがバラバラの3本の動画を続けて観ているうちに、全部が同じ一点を指していることに気づいた。

現代人が失っているのは「不快」である。

この記事ではその3つを並べて、なぜ不快の不足が「なんとなく調子が悪い」につながるのか、そして何を取り戻すべきかを書いてみたい。


1. 楽園のネズミは、なぜ滅びたのか(ユニバース25)

1960年代、行動学者ジョン・カルフーンが行った「ユニバース25」という実験がある。広いケージに無制限の食料・水・巣材を与え、外敵もいない、文字通りの楽園にネズミを放った。

最初は爆発的に増える。しかしある密度を超えると、奇妙なことが起きはじめる。

  • 育児を放棄するメス
  • 求愛もせず、毛繕いだけに耽る「ビューティフルワン」と呼ばれるオス
  • 暴力をふるう個体と、何もしない個体への二極化
  • やがて出生率はゼロになり、群れは静かに滅ぶ

カルフーンは結論にこう書いた。外敵もストレスもない世界では、社会的役割が消滅する。そして役割を持たない個体は、生物としての行動を組み立てられなくなる。

「楽園は社会を壊す」という直感に反する結論は、その後も繰り返し再検証されてきた。


2. 「historic に最も快適、かつ最もうつ病的」(Comfort Crisis)

ジャーナリストのマイケル・イースターが書いた『The Comfort Crisis(コンフォート・クライシス)』はもっと現代的な角度から、同じ問題を扱う。

イースターはアラスカの山中で1ヶ月を過ごす中で、こう書く。

  • 私たちは人類史上最も快適な暮らしをしている
  • 同時に、不安・うつ・慢性疾患・薬物依存・自殺の比率は史上最悪レベル
  • これは偶然ではなく 「快適すぎること」がそのまま病理になっている のだ

彼が提案するのは「ミスゴイ」と呼ばれるネイティブの伝統に学ぶ実践だ。年に1回、あえて自分を肉体的・心理的に困難な場所に置く。具体的には:

  • 数日の絶食、または極端な空腹
  • 重い荷を背負って長距離を歩く
  • 一人で自然の中に身を置く
  • 寒さ・暑さに意図的にさらされる

ポイントは「修行」ではない。通常の生活では失われた、適切なストレス信号を体に入れ直す行為 である。


3. 「2人称の死」を経験できない世代(養老孟司)

3本目は、文脈が一見まったく違う。解剖学者・養老孟司の「AI時代に何が問題か」というインタビューだ。

養老氏が強調するのは「2人称の死」という概念である。

  • 1人称の死:自分の死。生きている間は経験できない
  • 2人称の死:自分にとって近しい誰かが死ぬこと
  • 3人称の死:ニュースで流れるどこかの誰かの死

戦前の日本では、平均寿命が短く、家族が家で死ぬのが普通だった。子どもの頃に祖父母や兄弟が死ぬ。死体の重さや冷たさを、自分の手で知る。

それが現代では、ほとんどの人が 2人称の死を一度も経験しないまま大人になる。死は病院の中で完結し、葬儀は外注され、遺体は焼かれて骨になってから出てくる。

養老氏は言う。身体的な現実から切り離された人間は、観念の世界だけで生きるようになる。AI時代にもっと加速する。スクリーンの中の出来事と、自分の手で触れた現実の区別がつかなくなる。


統合:3つの動画が指す共通の一点

ジャンルもスケールもまったく違う3本だが、抽象化すると同じ構造をしている。

失われたもの結果
ユニバース25外敵・希少性・役割社会の崩壊
Comfort Crisis肉体的ストレス・空腹・寒暖不安・うつ・慢性病
養老孟司身体的な死との接触観念だけの世界に閉じ込められる

3つに共通しているのは、人間という生き物は「適切な不快」を前提に設計されている、ということだ。それを徹底的に取り除くと、表面的には楽園に見えても、内側で何かが崩れていく。


何を取り戻すか:3つの実践

抽象論で終わると意味がないので、自分の生活に落とし込める形で3つに絞ってみる。

① 身体的な不快を週に一度は意図的に入れる

サウナ、コールドシャワー、空腹、長距離散歩、なんでもいい。自分が「ちょっと嫌だな」と思う種類の不快 を選ぶのがコツ。すでに楽になっていることをわざわざ厳しくする必要はない。

② 死と病に「逃げない」距離で接する

身近な人が病気になった時、看取りに同席する時、遺体に触れる時。避けるのではなく、自分の感覚で受け止める。実家の親、犬や猫の最期、誰かの葬儀。手を抜かない。

③ スクリーンの外にしかない経験を月に一度は仕込む

地形のある場所を歩く、火を起こして料理する、知らない人と長く話す、夜の海に立つ。共通しているのは「画面に置き換えられない密度」を持つことだ。


おわりに

「なんとなく調子が悪い」は、ビタミンが足りないとか、寝不足とか、運動不足とか、そういう個別の話ではないかもしれない。

生き物としての人間に必要な刺激の総量が、現代の暮らしでは慢性的に不足している のだとしたら、これは栄養素ではなくて「生活設計の問題」になる。

楽園のネズミと違って、私たちは自分で楽園を抜け出せる。週に一度の不快、年に一度の困難、そして死から目を逸らさない態度——これだけで、戻ってくるものがある気がしている。


参考にした動画