春のはずなのに、朝の海沿いはもう初夏のようである。

走りはじめる前、私はいちおう長袖を着て出る。四月なのだから、それでちょうどいいはずだと思うからだ。けれど、堤防の脇まで来るころには、もう背中に汗が浮いている。風はたしかに海から来ているのに、冷たさよりも、明るさのほうが先に肌へ当たる。日差しが強いというのとも少し違って、季節そのものが、ひと月ほど先へ進んで待っているような感じがするのである。

私はその感じを、走るたびに少し気にしている。

空はまだ春の薄さを残している。道ばたの草も、完全に夏の濃さにはなっていない。なのに、海沿いの空気だけが先へ行く。頬をなでる風の温度も、アスファルトの照り返しも、肺の奥へ入るにおいも、どれも五月の終わりか六月のはじめのようで、四月の朝としては少し急ぎすぎている。

そういう日が、今年はやけに多い。

今朝もまた、折り返しの白い欄干のところで、私はいったん歩いた。暑かったからである。足を止めると、耳の横を抜ける風だけが、走っているときよりもはっきりわかった。風は止まった身体を追い越しながら、べつにこちらを気づかう様子もなく、そのまま先へ進んでいく。

そのとき、ふと、季節はいつもこうだったのかもしれないと思った。

こちらが追いつけないだけで、季節のほうは黙って先へ行ってしまう。春だと思っているのは、こちらの都合にすぎず、海や風や光のほうでは、もう別の段取りが始まっているのかもしれない。そう考えると、いま自分が四月を走っているのか、五月の入口を走っているのか、少し曖昧になる。

私はまた走り出した。

汗はすぐに乾かず、Tシャツは背中に薄く張りついたままだった。海は朝の色をしているのに、足もとに落ちる影だけが、ひと足先に夏の濃さへ近づいていた。家へ戻って時計を見ると、まだいつもと同じ時刻である。だから朝そのものは、きちんと今日の順番で進んでいたのだろう。

けれど、シャワーのあとで窓を開けたとき、部屋へ入ってきた風もまた、さっき海沿いで追い越していった風と同じ顔をしていた。

その朝から、私は走る前に天気予報よりも先に、窓の外の明るさを疑うようになった。