楽園に違和感を覚えたら、たぶん勘は正しい。

そう思うようになったのは、ジャンルの違う 3 本の動画を続けて観ているうちに、それぞれが全く別の角度から 「快適すぎる環境は人を弱くする」 という同じ結論に着地していたことに気づいたからだ。

舞台は、ネズミのケージ、19 世紀から続く資本主義、2007 年以降のインターネット。出てくる人物も学問も時代もまったく違う。それでも、3つの動画を並べると、現代人は同時に3つの「楽園」に住んでいる という構造が見えてくる。

この記事ではその3つを順に見ていきたい。物質の楽園、思想の楽園、情報の楽園。それぞれが別の方法で、私たちから少しずつ「生き物としての強さ」を奪っている。


第1の楽園:物質 — ユニバース25のネズミは、なぜ滅びたか

1960 年代、行動学者ジョン・カルフーンが行った「ユニバース25」という実験がある。広いケージに無制限の食料・水・巣材を与え、外敵もいない、文字通りの楽園にネズミを放った。

最初は爆発的に増える。しかしある密度を超えると、奇妙なことが起きはじめる。

  • 育児を放棄するメス
  • 求愛もせず、毛繕いだけに耽る「ビューティフルワン」と呼ばれるオス
  • 暴力をふるう個体と、何もしない個体への二極化
  • やがて出生率はゼロになり、群れは静かに滅ぶ

カルフーンの結論は直感に反するものだった。外敵もストレスもない世界では、社会的役割が消滅する。役割を持たない個体は、生物としての行動を組み立てられなくなる。

これは「物質が十分に行き渡った世界」の罠だ。困っていない、足りていない、誰にも脅かされていない。それなのに何かが崩れていく。

人間社会を覗くと、似た光景があちこちにある。子どもを持たない選択、引きこもり、「美しいオス」のように身だしなみだけに時間を使う人々——もちろん因果は単純ではない。ただ、「困っていないのに調子が出ない」という現象が個人の問題ではなく構造の問題かもしれない と思わせるには十分だ。


第2の楽園:思想 — 私たちは「内面化された6人」に追われている

2 つ目の楽園は、もっと見えにくい。

『古典ラジオ』の品川孝介氏は、資本主義のしんどさを 「6 人の追手」 で説明する。時間、消費、お金、労働、成長、数字。私たちは常にこの 6 つに追われていて、振り返るとそこには誰もいない——なぜなら追手は 自分の心の中で作り出されている からだ。

ここで重要なのは、6 人の追手はもとから人類に存在したわけではない、という点だ。

  • 時間の追われ方:古来の時間は循環的だった。ひな祭りは毎年同じでよかったし、季節は戻ってくるものだった。直線的に右肩上がりに進む時間観は、キリスト教の終末論と科学革命を経て、近代 150 年で内面化された規範に過ぎない。
  • お金の追われ方:道具だったお金が、いつしか信仰対象に逆転する。マルクスが言う「価値の自己増殖」がそれで、お金は 絶対量ではなく「増やし続けねばならない」構造 がしんどさの根本になる。

この章で覚えておきたいのは、「思想の楽園」は、自分の中に住まわせた追手から逃げ続ける状態 だという点だ。物質的には十分でも、心の中で「足りない」と言い続ける誰かがいる。それを生まれつきの不安だと思い込んでしまう。

品川氏が提案する出口は、追手を倒すことではない。「物差しを一旦心から取り出してみる」 という小さな行為だ。それだけで、自分が無意識に従っていた規範に距離が生まれる。


第3の楽園:情報 — 「何者か」の高解像度が諦めを許さない

3 つ目の楽園は、もっと新しい。

「何者かになりたい」病を解剖した動画では、サルトルやラカンの古典哲学から始まり、心理学者 Markus が 1986 年に提唱した 「可能自己(Possible Selves)」 という概念に話が向かう。

可能自己とは、自分がなり得たかもしれない別の姿のことだ。1986 年の時点では、可能自己は 「ぼんやりとした理想」 だった。だから、なれなくても不満は薄かった。

ところが 2007 年、YouTube パートナープログラムが一般公開され、UUUM が上場し、HIKAKIN がチャンネル登録 1960 万人になっていく。動画広告は 1 兆円を突破し、TikTok の月間ユーザーは日本だけで 4200 万人に達する。

そこで何が起きたか。可能自己が高解像度で、4K秒単位で、同年代の成功映像として供給されるようになった

ぼんやりとした理想は、解像度を上げると一気に「届きそう」に見える。届きそうに見えると、諦めることも難しくなる。これが現代の焦燥感の正体だ。

不可能の証拠が揃わないので、諦めの許可が下りない。

社会学者バウマンは、現代を 「液状化(リキッドモダニティ)」 と名付けた。中根千枝の縦社会のような所属はもう支えにならず、すべては「評価」に置き換わる。評価は更新し続けないと消える。だから人は、何者でもない時間を許せなくなる。

ロンドン公務員を対象にしたホワイトホール研究は、「下位だと感じている人ほど心臓・メンタル疾患の発症率が高い」 ことを示した。地位の感覚は、身体まで削る。


3つの楽園が同じ場所を指している

ジャンルがバラバラの 3 本だが、抽象化すると同じ構造をしている。

楽園の名前失われたもの弱体化の機構
物質(ユニバース25)外敵・希少性・役割生物として行動を組み立てられない
思想(資本主義の規範)循環的な時間・道具としてのお金内面化された追手に追われ続ける
情報(評価社会・可能自己)ぼんやりとした理想・所属諦めの許可が下りない

3 つは独立した問題ではない。現代人は同時に 3 つの楽園に住んでいる。物質的には満たされていて、その上で思想に「足りない」と言われ、その上に情報で「もっとなれたあなた」を高解像度で見せ続けられる。

楽園を 1 枚剥がしただけでは出口にならない理由がここにある。物質の不快を意図的に入れても(コールドシャワーや断食)、思想の物差しがそのままなら結局焦り続ける。思想を整理しても、情報の供給を絞らなければ「何者かになれそう」な錯覚は止まらない。


出口の3つの方向

3 本の動画はそれぞれ違う出口を提示している。組み合わせると一つのレシピになる。

① 物質の楽園を出る:意図的にストレスを入れる

  • 空腹、寒暖、長距離歩行など、肉体に「足りない」状態を週に一度は入れる
  • 困らない世界では行動を組み立てられないので、自分で困ってみる

② 思想の楽園を出る:物差しを外に出す

  • 自分が無意識に使っている「成長すべき」「もっと稼ぐべき」を紙に書き出す
  • それが本当に自分の物差しなのか、誰かから受け取った物差しなのかを点検する
  • 取り出すだけで距離が生まれる

③ 情報の楽園を出る:「何者でもない時間」を許す

  • SNS の利用時間を 30 分に絞る実験では、抑うつと孤独感が下がった
  • 「分(ぶ)を知る」を成熟の証としていた近代以前の感覚を取り戻す
  • 評価されない時間に耐える練習

おわりに

楽園に違和感を覚えるのは、病ではない。むしろ、人間という生き物が正常に作動しているサイン だ。

ネズミのケージで死んでいくビューティフルワンと、私たちはどこか似ている。物質に困らず、思想に追われ、情報に呑まれている。だが私たちはネズミと違って、自分が今いる楽園に名前をつけることができる。

物質、思想、情報。今の自分にとって一番きつい楽園はどれか。

それを言葉にできた時点で、もう一歩外に出ている。


参考にした動画