このごろの空気は、どうもひとつに決まらない。

暑くも寒くもない、ちょうどよい季節だと思って外へ出る。ところが、しばらく歩いてふと気がつくと、首すじのあたりだけ妙に冷えている。かと思えば、風のない場所で少しじっとしているだけで、背中にうすく汗がにじむ。どちらかにきっぱり寄ってくれればこちらも身構えやすいのに、この時季の身体は、いつも少し遅れて事情を知る。

朝のうちは、まだ油断しているのである。

窓を開けたときの明るさに気をとられ、寒さのことなど忘れてしまう。空は突き抜けるほど青い。青い、というより、何か余計なものをひとつも残さず洗い流したあとのように澄んでいる。その下で、木々の緑だけがいつのまにか深さを増していた。ついこの前までは、若い色をしていたはずである。まだ薄く、光に透けるようだった葉が、知らぬまに影を持つようになっている。

季節は、目立つ音を立てずに厚くなるものらしい。

気温だけ見ていてはわからない。空の高さ、葉の色、風の手ざわり、そういうものが少しずつ相談し合って、こちらの知らぬところで次の顔を決めている。だから人は、ある日ふいに気づく。もう春の入口ではなく、その奥のほうへ来ていたのだと。

風もまた、このごろは妙である。

冷たいことは冷たい。頬に当たると、まだ少し身をすくめたくなる。けれど冬の風のように乾いてはいない。どこかしっとりしている。海を渡ってきたのか、土の匂いを拾ってきたのか、あるいは草の中をくぐってきたのか、冷たさの中にうすい湿りが混じっている。その湿りのせいか、風に吹かれていると、寒いのに、もう寒い季節のものではないとわかる。

私はそういうとき、少し落ち着かない。

身体がまだ追いついていないからだろうと思う。上着を着るべきか、脱ぐべきか。日なたを選ぶべきか、日陰へ逃げるべきか。ひとつ決めたつもりでも、数分後にはもう別の判断が必要になる。人間の身体というのは案外律儀で、季節が曖昧だと、その曖昧さのぶんだけ戸惑いをそのまま引き受けてしまう。

けれど、私はこの気まぐれな空気が少し好きでもある。

夏のように言い切らず、冬のように閉じきらない。決まりきらないままの風景には、まだ何かが起こりそうな余白がある。空は高すぎるほど高く、緑はひと足先に深まり、風だけが冷たい顔で頬を撫でていく。そのちぐはぐな取り合わせが、かえってこの時季の正体なのかもしれない。

さっき、道ばたの木の下で立ち止まった。

葉の影が歩道に細かく揺れ、その影の形だけがもう初夏めいていた。けれど吹いてきた風は、まだ春の終わりの冷たさを持っていた。私はその場でしばらく動かずにいて、少し汗ばんだ背中と、ひやりとする首すじとを同時に感じていた。身体の中に、二つの季節が細く並んでいるような気がした。

たぶん今は、そういう時期なのだろう。

ひとつの名前で呼ぶには少し早く、ひとつ前の名前で呼ぶにはもう遅い。空気がまだ迷っているように見えて、ほんとうは迷っているのはこちらのほうなのかもしれない。

空は今日も、突き抜けるほど青い。

緑は黙って深さを増している。風は冷たいのに、どこか湿っている。その静かな矛盾の中で、季節だけが、もうこちらより少し先を歩いているのである。