蔵の壁に掛けた湿度計の針が、朝から七十をさして動かなかった。

私は古物を商っている。店は表通りに小さく構えているが、品の大半は、この裏の蔵に眠っている。古いカメラ、蒔絵の文箱、止まったままの掛時計、誰かの旅の絵葉書の束。どれも一度は誰かの手にあって、いまは、次の手を待っている。商品、と帳簿には書くが、私の感覚では、預かりもの、に近い。

夏至の日だった。

一年でいちばん日の長い日だが、蔵の中ではそんなことは分からない。窓は塞いであるし、明かりは裸電球がひとつきりだ。外で陽がいちばん高くなっているはずの時間に、私は除湿機の水を捨て、エアコンの設定を一度下げ、湿度計の針が動かないのを、しばらく見ていた。

七十、というのは、黴の生える数字だ。

カメラのレンズというのは、湿気にいちばん弱い。表からは何ともないのに、ある日のぞくと、ガラスの奥に、白い霞のようなものが、蜘蛛の巣を張っている。黴である。いちど根を張ると、もう取れない。私はローライフレックスの二眼を一台、布で拭きながら、その前玉を電球にかざした。今日のところは、澄んでいた。

雨は、嫌いではない。

降って、強くなって、弱くなって、やがて止む。雨には、始まりと終わりがある。形がある。窓を塞いだ蔵の中にいても、屋根を打つ音で、いま降っている、もう上がった、と分かる。出来事には、輪郭がある。

私が苦手なのは、湿度のほうだ。

湿気には、形がない。いつ始まったとも知れず、いつ終わるとも知れず、ただ、空気そのものに溶けて、蔵じゅうに、品物の隙間に、レンズの奥に、音もなく入り込んでくる。雨のように、打ってはこない。値切ってもこない。ただ、黙って、こちらの預かりものの、いちばん柔らかいところに、住みついていく。除湿機だけが、この店でいちばんの働き者だ。文句も言わない。電気代のほかは。

昼すぎに、表の戸が鳴った。

「ごめんください。先週、取り置きをお願いした……」

常連の、谷口さんだった。退職してから写真を始めた人で、ひと月に一度は寄ってくれる。私は蔵から、布で包んだローライを出してきて、カウンターに置いた。

「お待たせしました。レンズ、見ておきましたよ。澄んでます」

谷口さんは、ファインダーをのぞき込んで、にっこりした。

「いやあ、梅雨のあいだに黴が来やしないかと、そればかり心配で」

「うちの蔵は、湿気には勝ってますから」と私は言った。「私より、除湿機がね」

谷口さんは笑って、カメラを大事そうに鞄へ収めた。代金を払い、もう一度礼を言って、戸を開ける。外の、夏至の白い光が、一瞬、店の床に差し込んで、すぐに戸が閉まって、また消えた。

一台、出ていった。

私はカウンターに残って、その空いた場所を見ていた。あのローライは、長いあいだ蔵で、次の手を待っていた。今日、待つことが終わった。谷口さんの鞄の中で、あれはもう、商品ではない。あの人の、これからの旅の道具になる。次のある時を、ようやく見つけたのだ。

けれど、蔵には、まだ大勢が残っている。

文箱も、掛時計も、絵葉書の束も、出ていった一台を、見送りもせずに、ただ黙って棚にある。彼らの待ち時間には、形がない。いつ次の手が来るとも知れず、来ないとも知れず、ただ、湿度のなかで、黴に負けないように、私が拭いて、回して、乾かしておくよりほかにない。雨のように、いつか上がる、という保証は、どこにもない。

それでも、夏至は、ひとつのことを教えてくれる。

今日を境に、日は短くなっていく。いちばん長い日が来たということは、ここから先は、暗いほうへ折り返すということだ。湿度には形がないが、季節には、ある。梅雨は、あと半月もすれば明ける。明ければ、空気は乾き、湿度計の針は下りて、外に人が出て、蔵の品を見にくる客も、また増える。

形のない時間に、たったひとつ、縁をつけてくれるものがあるとすれば、それは季節の折り返しだ。

私は湿度計を、もう一度見た。針は、まだ七十をさしている。けれど、これがいちばん高いところだ。長い日の、いちばん湿った午後に、針はてっぺんで止まっている。ここから先は、ゆっくりと、下りていく。私は布をもう一枚絞って、次の一台のレンズを拭きはじめた。