最近、気がつくと「時間が足りない」とつぶやいていることが多い。

仕事に追われている。家のことに追われている。やりたいことが片付かない。スマホを眺めているうちに夜になる。「時間が足りない」というのは、いまや誰もが共通して抱えている感覚なのかもしれない。

ところが、ジャンル違いの YouTube 動画を 3 本続けて観ていたら、ひとつの可能性が見えてきた。

「時間が足りない」と感じるとき、本当に足りていないのは、時間の量ではなく、もっと別のものではないか。

ドイツ児童文学の名作、平安初期の僧、現代の人生相談——出てくる人も時代もまったく違う 3 本が、それぞれ別の言い方で、同じ方向を指していた。

順に書いてみたい。


1. モモ — 「時間貯蓄」が時間を奪う

1 本目はミヒャエル・エンデの『モモ』を解説する動画だった。1973 年に書かれた児童文学の名作で、子どもの頃に読んだ人も多いだろう。読み返すたび、時代に合わせて顔を変えて見えてくる、不思議な本である。

物語に出てくる 「灰色の男」 は、町の人々を訪ねては「もっと効率よく時間を使えば、その分の時間を貯金できますよ」と説いて回る。床屋のフジ氏は、計算表を見せられて、これまで世間話やくつろぎに使っていた時間が、いかに「無駄」だったかを思い知る。そして彼は、雑談を切り上げ、髪を切るスピードを上げ、店先の猫を手放し、母親を施設に入れる。

時間は、確かに「貯まった」ように見える。

ところが、フジ氏の顔は灰色になり、心の中はどんどん貧しくなっていく。エンデが描いたのは、効率化の名のもとに、人から「感じ取れる時間」が奪われていく姿 だった。物語の中盤、モモがマイスター・ホラに会いに行く場面で、エンデの考えがはっきり示される。

時間は心で感じるもので、感じ取らない時間は無いも同じだ。

時間の量を増やしても、心で感じ取られない時間は、こちらの人生に積もらない。フジ氏が貯めたつもりの時間は、実は灰色の男たちの葉巻の煙となって消えていた——というのが、エンデが半世紀前に描いた構図だ。

そしていま、私たちが「時間が足りない」と感じるとき、本当に足りていないのは、時間そのものではなく、心で感じ取れている時間 のほうなのではないか、という気がしてくる。


2. 空海 — 真面目すぎる人ほど、時間を縮めている

2 本目は、平安初期の僧、空海の言葉を朗読しながら現代に当てはめる動画だった。

空海は、修行者を長く見てきた人だ。怠け者ではなく、真面目で、戒律を守り、誰よりも頑張ろうとした人ほど、心を壊して脱落していった ということを、よく知っていたらしい。

そこから空海が示したとされるのは、こういう構えだ。

力を抜け。執着するな。そのままで仏である。

「ふざけろ」と動画は要約していたが、これは「投げ出せ」という意味ではない、と強調されていた。空海の「ふざける」とは、人生と戦う姿勢をやめて、少し距離を取って眺める こと。失敗にも「そういう日もある」と笑って受け流す。完璧を目指さず、未完成な自分を認める。

ここで興味深いのは、真面目すぎる心は、自分の時間を堰き止める、という見方だ。

「ちゃんとしなきゃ」が頭の中で鳴り続けていると、心はいつも数歩先の自分に飛んでいて、いま目の前で起きていることを感じられなくなる。これは、エンデの「感じ取らない時間は無いも同じ」と、別の角度から同じことを言っている。

真面目すぎる人ほど、時間が足りないと感じる。けれどそれは、時間が足りないのではなく、力が抜けないせいで、いま流れている時間に意識が乗れていない からだ、ということになる。

空海の処方箋は、力を抜くこと、人の目を「遊びに変える」こと、ちゃんとしなきゃを手放すこと。1200 年前の僧の言葉だが、現代にも妙にしっくりくる。


3. 35歳でルールが反転する — 急ぎすぎると損をする

3 本目は、評論家の岡田斗司夫さんが、人生相談の場で投げかけた言葉だった。

岡田さんが繰り返し言うのは、人生は35歳から45歳のあいだで、ルールが一度反転する ということだ。20代と30代は、いわば「人生のAパート」で、ここで起きることは、後半への伏線にすぎない。50代から60代になって初めて、その伏線が回収され、答え合わせが始まる、という見立てだ。

絶望してる人は、そこまで生きてみろ。

20代や30代で「もう手遅れだ」「私には才能がない」と感じる人は多い。けれど、その感覚は、まだAパートのルールで人生を採点しているから にすぎない、と岡田さんは言う。

特に印象に残ったのは、「寿命レート換算」という発想だった。江戸や明治の平均寿命を基準にして、いまの年齢を読み替えてみる。明治換算でいけば、現代の40歳はまだ20代に相当する、というような考え方だ。「もう遅い」という感覚は、現代の長寿のうえで、過去の感覚を引きずっているだけかもしれない、ということになる。

そしてもうひとつ、岡田さんが平然と言うのが、価値や評価はだいたい偶然である、という見方だった。本人の能力に固有の価値があるわけではない。仕事の価値も偶然で決まる。だから、20代や30代で「自分には価値がない」と早急に判定するのは、ほとんどの場合、判定そのものが早すぎる。

ここで起きているのは、時間の流れに対する物差しを取り直す という作業だ。短い物差しで自分を測るから、時間が足りないように見える。物差しを長く取り直せば、いまの焦りはAパートの焦りで、Bパートはまだ始まってもいない、ということになる。


まとめ

3本を並べると、共通点が浮かぶ。

  • モモ — 時間の質を取り戻せ。感じ取らない時間は無いに等しい
  • 空海 — 力を抜け。真面目すぎる心は、いまの時間に意識を乗せない
  • 35歳ルール反転 — 物差しを長く取れ。短い時間で焦って判定するな

形は違うが、3本ともこう言っている。「時間が足りない」と感じるとき、本当に足りていないのは、量ではなく別のものだ。エンデは「質」、空海は「力の抜け」、岡田さんは「物差しの長さ」と呼ぶ。けれど指している方向はだいたい同じだ。

時間を量で扱おうとするから、足りなくなる。時間を質や流れの問題として捉え直すと、不思議と、今日の夕方くらいから少し余白ができてくるのかもしれない。

「時間が足りない」とつぶやくとき、まず、自分にとって本当に足りていないのは何なのかを、問い直してみるところから始めるのがよさそうだ。それはたぶん、効率化のスケジュール表では取り戻せない、別の場所にある気がしている。


参考にした動画