人通りのない道は、昼間でも少し暗かった。デパートのエレベーターは、扉が閉まると急に逃げ場のない箱になった。ゲームセンターは派手に光っていたが、私には遊び場ではなく、いつ誰に目をつけられるかわからない場所だった。
子供のころの私には、そういう「安らげない場所の地図」があった。
昭和という言葉を聞くと、懐かしい時代だったと語る人は多い。テレビが面白かった、商店街がにぎやかだった、子供は外で遊んでいた。たしかに、そういう明るさがまるでなかったとは言わない。けれど、私の記憶の中で先に立ち上がるのは、そうした温かい色ではない。どこへ行くにも少し身を固くしていた、あの感じのほうである。
不良というものが、私はとても怖かった。実際に何かされた記憶だけが強いのではない。むしろ、何かされるかもしれないという予感のほうが、いつも先にあった。人通りのない道では足が早くなり、デパートのエレベーターでは知らない人の気配に神経をとがらせ、ゲームセンターの入口を見るだけで、中へ入る前から胸が縮んだ。
学校の外だけではなかった。学校の中にも、やはり別の怖さがあった。家庭にもまた、安らぎきれないものがあった。悪いことをすると家の外へ出され、何時間も中に入れてもらえないことがあった。蚊に刺されながら、悲しく、腹立たしく、どうして自分がこんな仕打ちを受けなければならないのかと思っていた。叱られたというより、理不尽の中へ置かれた、という感覚のほうが近い。
今振り返ると、あのころの私は、どこへ行っても完全には気を抜けなかったのだと思う。学校の外にも怖さがあり、学校の中にも怖さがあり、家庭にも怖さがあった。近しい大人が守ってくれなければ、どこへ行ってもただただ怖かった。
それでも、友達と一緒にいる時間だけは少し違った。
何もかも忘れられるわけではない。ただ、一人でいるときよりは世界の険しさが遠のいた。帰り道にくだらない話をしているとき、笑っているとき、用もないのに並んで歩いているときだけ、胸のどこかがようやくゆるんだ。あの時間は、子供だった私にとって、小さな避難所のようなものだったのかもしれない。
昭和を思い出すとき、私は楽しかったことだけを先に語ることができない。怖かったこと、理不尽だったこと、身を守るように生きていた感覚が先に出てくる。けれど、その一方で、そんな時代だったからこそ、友達と一緒にいられることのありがたさも、体で覚えたのだと思う。
私の昭和には、安らげる場所が少なかった。
だからこそ、わずかに安らげる時間の輪郭だけは、今でも妙にはっきりしている。あれは家でも学校でもなく、たいてい友達の隣にあった。