秩父に、昭和二年から続く食堂がある。月に出る注文の七割がオムライスだという。江戸には、名前を聞かれても「箱根山で汗をかいて忘れた」とはぐらかし、ただの居候として暮らしていた職人がいた。二〇〇四年には、四球をほとんど選ばず、ボール球まで打ちに行って二百六十二本の安打を積んだ打者がいた。

出てきた場所も時代もまるで違う。けれど三つを並べていると、一つの問いに行き当たる。名前や肩書きを外したとき、その人を確かめられるものは何か、という問いだ。

落語にこういう枕がある。「名人と上手は違う」。上手は努力で届く。名人は、別の場所にいる。では、その別の場所とは何でできているのか。

名前を消したあとに残るものに、名人と上手の違いは出る。

順に書いてみたい。


1. 三つの食堂 — 受け継がれていたのは品書きではなかった

浅草の天丼屋「まさる」、表参道の新しい蕎麦屋、秩父の「パリー食堂」。一本の長い記録番組が、この三軒の仕込みから店じまいまでを追っている。出発点はばらばらだ。「まさる」は一九四七年の創業で三代目。本枯節だけで取る出汁を、削り方まで専門の業者に頼む。玉締めのごま油を二鍋に分け、高温で入れて低温で仕上げる二段揚げで海老を通す。屋号の「まさる」は、三代目の祖母の名前だという。

秩父の「パリー食堂」は築九十八年。建物は国の登録有形文化財で、一部が崩れ、傾いている。修繕には四千万円かかるといい、店の人たちは費用を広く募っている。三代目と、その孫にあたる四代目の二人で回す。四代目は東京で料理の修業をして、自分の店を持つ夢を病気で諦め、秩父に戻ってきた。品書きは洋食が並ぶ。オムライス、ソースカツ丼、昔ながらのプリン、クリームソーダ。

この店で一つ、引っかかる話があった。パリー食堂は、カツ丼のタレを基本にして、そこにケチャップや醤油を足しながら、ほとんどの料理を組み立てているらしい。受け継がれているのは「オムライスの作り方」という品目ではない。一つのタレから、どう枝を伸ばすか、という手順のほうだ。屋号の「パリー」も、当時はやっていた外国の地名から取った、いわば借り物だという。「まさる」が祖母の名前なのと、どこか似ている。名前は借り物でいい。続いているのは、出汁とタレと、その日の段取りのほうだった。表参道の蕎麦屋だけは二〇二三年に始まったばかりで、まだ受け継ぐものを持たない。だからこそ、残りの二軒が何を守っているのかが、かえってはっきり見えた。


2. 左甚五郎 — 名前を言わない人

古典落語「三井の大黒」は、飛騨の名工・左甚五郎の噺だ。枕では、日光の眠り猫や知恩院の鶯張りの廊下が引かれる。動かない木や板に、彫った人の腕がそのまま残っている、という話から入る。そのあとで、甚五郎は江戸の大工たちの仕事を「全部下手くそ」と言ってのけ、殴り合いになる。止めに入った政五郎という棟梁が、飛騨の大工と聞いて自宅に引き取る。ところが甚五郎は、名前を聞かれても「箱根山で汗をかいて忘れた」とはぐらかす。日本一の腕を持ちながら、ただの居候として、四日五日で仕事場が変わる気ままな暮らしを続ける。

正体が分かるのは終盤だ。駿河町の三井から使いが来て、「大黒様が出来上がった」と告げる。部屋の隅に風呂敷をかけて置かれていた大きな大黒像。それが日本一の名人の作だったと、そこで初めて知れる。彼が誰であるかを証明したのは、本人の名乗りではない。彫られた像のほうだった。

枕で語られる「名人と上手は違う」が、ここで効いてくる。上手なら、丁寧に名乗って、丁寧に仕事を見せただろう。甚五郎は名乗らない。名乗らなくても、像のほうが勝手に名乗ってしまうからだ。名人と上手を分けているのは、腕の良し悪しというより、名前を外しても仕事だけで通ってしまうかどうか、なのかもしれない。


3. イチロー選手 — 残ったのは記録ではなく、一年の通し方

二〇〇四年、イチロー選手は一年で二百六十二本の安打を打った。打数は七百四、打率は三割七分二厘。打数も打率も歴代でほぼ頂点という同時の達成は、その年の彼だけだという。野球の公式が、もう破られないだろうと認めた記録の一つになっている。

破られない理由が面白い。一度の爆発ではないからだ。一番打者として全試合に出続け、四球はわずか四十九個。外角を八割方打ち返し、ボール球まで打ちに行く構えで、ようやく打数七百に届いた。打数七百という壁は、才能の壁ではなく、同じ構えを一年ずらさずに通せるか、という壁だった。今の野球は本塁打と三振のほうに重心が寄っていて、この通し方そのものが、もう選ばれにくい。

だから残ったのは「二百六十二」という数字の名前ではない。一年間、一打席ごとに同じ構えを置き直し続けた、その通し方のほうだ。十年続けて二百本を打ったほうの記録も、同じ理由で破られにくいと言われている。一度の高さではなく、ずらさずに通した長さのほうが、後から効いてくる。記録は名前で呼ばれるが、本体は毎日の打席の積み重ねにある。パリー食堂のタレと、やっていることはそう遠くない。


まとめ

三つを並べると、残っているものがどれも似た形をしているのに気づく。受け継がれていたのは品目ではなく、一つのタレからの枝の伸ばし方だった。職人を証明したのは名乗りではなく、彫られた像だった。打者に残ったのは数字ではなく、一年の構えの置き方だった。名前は、借りても、隠しても、後から付いてくる数字でもよかった。本体はいつも、その手前の手順のほうにある。

本人が差し出す名前実際に残るもの
パリー食堂借りた外国の地名タレからの枝の伸ばし方
左甚五郎「忘れた」とはぐらかす彫られた大黒像
イチロー選手二百六十二という数字一年の構えの置き方

落語の枕に戻る。名人と上手は違う。その違いは、たぶん才能の大小ではない。同じ手順を、おそろしく長く、ずらさずに通せたかどうか。そしてその手順は、本人が黙っていても、残った仕事のほうが勝手に名乗ってしまう。だから甚五郎は名前を忘れたふりができたし、食堂は屋号が借り物のままでも続いてこられた。名人とは、名前を外しても仕事だけで自分の居場所が分かる人のこと——なのではないか、という気がしている。


参考にした動画