バットの握りを、最後まで前に出さないこと。短距離走で、自分の苦手をあえて直さないと決めること。七十年以上使われた一台の機械を、錆びさせずに残すこと。

並べてみると、まるで関係がない。野球の打ち方の話と、走り方の話と、古い工作機械の話だ。けれど、どれも「正しい形に揃える」ことを少し拒んでいる。正しいとされる握り方、正しいとされる走り方、正しいとされる新しさ。そこへ寄せていくのではなく、手元のものを残すほうを選んでいる。

上達も、長く使えることも、正解の形へ近づくことから来ているように見える。実際にはその逆で、何を残すかを決めたところから始まっているのではないか。そんな気がして、三つを順に見てみたくなった。

正しい一つの形に寄せることより、自分のものを残しておくことのほうが、結局は遠くまで連れていってくれるのかもしれない。

順に書いてみたい。


1. イチローさん — 握りを最後まで残す

イチローさんが本拠地の球場を独り占めして、自分の打ち方を解説している。入口は地味な話だ。素振りのときのバットの通り道と、実際に打席で打つときの通り道は違う、というところから始まる。

中心にあるのは「握りを残す」という考えだった。胸、つまり前の肩の線が早く相手に見えてしまうと、バットが自然に前に出てしまう。出てしまえば、変化球に対応できる幅がそのぶん狭くなる。だから握りを体の近くに置いたまま、最後まで前へ出さない。

ここで面白いのは、一般的な教えへの違和感を、はっきり口にしているところだ。「バットは最短の道を通して出せ」とよく言われる。イチローさんはそれを良しとしない。最短で出してしまうと、そこで待てなくなる。待てないと、来た球にただ反応するだけになってしまう。

終盤では、わざと差し込まれる技まで見せる。詰まった当たりは負け、というのが普通の感覚だ。その常識を捨てて、根元から先までバット全部を使い、最後の最後までボールに付き合う。詰まりを負けの側から外して、勝つために選べる手の一つに置き直している。

正しい形に握りを寄せていれば、たぶんもっと楽だったろう。けれど彼は、対応できる幅のほうを残した。形の正しさより、最後まで選べる状態でいることを採った、ということなのだと思う。


2. 短距離走 — 苦手を直さないという選び方

陸上の短距離を教えているある方が、速くなるための考え方を話している。走る人にはいくつかの型がある。足を速く回して進む人、一歩を大きく伸ばして進む人、上半身を大きく使う人、小さくまとめて運ぶ人。

多くの人は、まず自分の苦手をなくそうとする。それは正しい。ただ、その方が言うのは、それだけが正解ではない、ということだ。人は得意なことをしているときに一番伸びる。だから、苦手をならすより、得意を一つ、誰にも負けないところまで伸ばす道も、同じくらい有効になる。

例として、ある実業団の選手の話が出てくる。前半の五十メートルは世界でも通用するのに、後半で離されてしまう。世界の舞台での課題はそこだった。普通なら後半を鍛え直す。けれどその酒井龍一郎選手が選んだのは、得意な前半をさらに磨いて、後半は逃げ切る、という方だった。

世界の上位を見ても、走る形は全員ばらばらだという話も出てくる。点をつけて競う種目と違って、陸上は形ではなく速さで決まる。だから、変わった形の選手も、整った形の選手も、並んで勝っている。それぞれが自分のいいところを残して、そこを伸ばしている。

合わないと思った教えは捨てていい、という言葉が最後のほうにあった。これも握りの話と地続きだと思う。直すべき苦手を一つずつ消していくと、たしかに欠点のない形に近づく。けれど近づいた先にあるのは、誰とも区別のつかない形でもある。


3. 一台だけの旋盤 — 捨てずに残す

呉にある大和ミュージアムが、一台の古い機械を救うために寄付を募った話がある。機械の名前は15299号機。資料館の記録によれば、1938年にドイツから入ってきた大きな旋盤で、全長はおよそ四十メートル、重さは百十九トン。戦艦大和の主砲、四十六センチの砲身を削った機械だという。

同じ役目の機械はほかにもあった。けれど戦後、そのほとんどが壊されてしまい、これだけが神戸製鋼などで七十年以上使われ続けて、最後まで残った。残ったといっても、放っておけば消えるところだった。譲り受けの話はあったが保管が長く続き、感染症の流行で資料館の財源も苦しくなっていた。

そこで二〇二一年に、ひとりひとりが少しずつお金を出し合う寄付の取り組みが始まる。目標は四千八百万円。あるゲームを遊ぶ人たちがまとまって支援に動き、初日のうちに一億円を超えた。最終的には六千六百人あまりから、およそ二億七千万円が集まったという。

話はそこで終わらない。集まったあと、ネット上で「屋外に置いたら錆びる」という声が強く出た。きつい言い方も混じっていた。けれど資料館の館長は、その声を受けて方針を変え、ガラス張りの建物を作って中に納めることにした。二〇二三年に、その建物で公開されている。

ここでも、揃えるより残すほうが選ばれている。古いものを新しいものに置き換えるのは、いわば正しい形に揃えることだ。そうはせず、一台だけ残ったものを、声を聞きながら手入れして残した。残すと決めた人が一人いて、残せと言う人が六千人いた、ということなのだと思う。


まとめ

三つを並べると、共通しているのは「正しい形に寄せない」という小さな判断だった。整理すると、こうなる。

題材寄せれば楽だった正しい形実際に残したもの
イチローさんの握り最短で出す打ち方最後まで選べる幅
短距離走苦手のない整った形自分の得意なところ
一台の旋盤新しい機械への置き換え古いまま動いた一台

正しい形は、たいてい楽で、説明もしやすい。だから人はそこへ寄せたくなる。けれど寄せ切ったところに残るのは、しばしば誰のものでもない形だ。握りを残したから変化球を最後まで見られる。苦手を残したから得意が際立つ。古いまま残したから、その一台にしかない来歴が残る。

何かを残すというのは、消極的な判断に見えて、たぶん逆だ。残すと決めるには、正しいとされる形をいったん脇に置く手間がいる。その手間を引き受けた人のところにだけ、後から「これは自分のものだ」と言えるものが残るのではないか、という気がしている。


参考にした動画