東北のシャッター商店街にある三階建てのビル。富山県五箇山の集落の片隅にある食堂。川崎の元ドヤ街で内装を塗り替えた安宿。場所も時代も値段の桁もばらばらだが、どれも「畳まれずに、別の誰かに引き取られた」建物だ。
ある時点で、それぞれの建物はもう続けにくくなっていた。シロアリに食われていた柱、店主の入院、活気の引いた一帯。普通なら売って次に移る話で済むはずで、実際にそうやって消えてきた建物のほうがずっと多いはずだ。それでも残った。残った理由は、持ち主が頑張ったから、というよりも、たまたま立ち寄った別の人間がそのまま引き受けてしまったから、と言ったほうが近い。
新しく建てるよりも、ほどけかけた糸を引き受けるほうが、よほど多くのことを背負っている。
順に書いてみたい。
1. 東北のシャッター街 — 八百平米を二百万で買った、ある自前で直す方
東北のシャッター商店街で、三階建てに地下室の付いた、合わせて八百平米ある元眼鏡店のビルを二百万円で買った方の記録がある。買ったとき、建物の中身はまだ前の店のままで、棚も大量の眼鏡もそのまま残されていた。撤去から始めて、調べたら柱にシロアリの被害があり、専門の業者を入れて骨組みの補修からやり直すことになった。
買った金額の安さばかりが目を引くが、印象に残るのは、ひとりで直すには手が回らない仕事が次々と出てくる場面のほうだ。八百平米という広さは、一人の趣味で扱える大きさを超えている。それでも一階だけはバーに作り変えて、夜にだけ灯りがつく場所として開ける、と決めている。二階より上と地下室は、人が泊まれる場所にしたい、人が集まれる場所にしたい、と「そのうち」のかたちで保留されている。
ここで興味深いのは、空き家を引き受けることが、いつのまにか地域の灯りを再点けることに重なっていく点だ。商店街が「シャッター」と呼ばれるのは、夜に灯りがないからだ。誰かが一階を開けると、その一区画だけ明るくなる。建物を「自分の場所」として引き受けたつもりが、街を再点けはじめてしまう。
2. 五箇山の古い食堂 — ある元猟師の方と、たまたま訪ねた管理栄養士の方
世界遺産に登録されている五箇山の集落に、昭和五十八年に始まった食堂がある。店主はもとは猟師で、熊・猪・キジ・ハクビシン・鹿を、祖父譲りの臭み抜きで郷土料理として出す。客の半数くらいは外国人で、海外の国営テレビにも繰り返し撮られているという。
店主は六十代後半で、ヘルニアの入院もあり、店内には「平成三十五年に閉める」という札が貼られていたという。後継者は身内にいなかった。
ところが、二〇二三年の暮れに観光で立ち寄った三十歳の管理栄養士の方が、店の豆腐の手伝いから入って、アルバイト、店長、二代目見習い、と段階を踏み、二〇二六年二月に養子縁組という形で「血縁のない養女」として二代目になった。
この継ぎ方を、上手な仕組みの話として聞き取ってしまうのは違う気がする。最初からあったのは仕組みではなく、「閉めたくないが続けようがない」と「ここを面白いと思う」というふたつの気持ちが、たまたま店の土間でぶつかった、というだけのことだ。仕組みは、その後でついてきた。一年以上分の獣肉を確保するための保管も、太陽干し椎茸の出汁の取り方も、客の半分が外国人であることも、引き受けてからゆっくり覚えていけばいい話で、引き受ける時点では「ここを閉めさせたくない」のひとつで足りた、ということなのだろうと思う。
3. 川崎の元ドヤ宿 — 内装を塗り替えた、ある安宿の方
川崎駅から徒歩十分、もとは日雇い労働者の街だった一帯に、簡易宿泊所を改装して三千三百円で泊まれる宿がある。三畳ほどの個室に、厚さ二十センチのまずまずのマットレスが置かれている。壁は青や黄緑やピンクで塗り分けてあって、明らかに昔の宿の色ではない。
ところが、電車が真横を走るので騒音は残るし、空調は一括だから自分の部屋だけ温度を変えられない。「直しきれていない」感じが、不思議とこの宿の手触りになっている。元の建物の癖を全部消したら、たぶん三千三百円では泊まれない。
ここでも、すでに建っていた骨組みを引き受けたから安く泊まれる、という関係が成り立っている。日雇い労働者向けに作られた寸法、向きの悪い窓、線路際という立地。前の用途のまま放っておけば、ただの古い宿だ。違う色を塗って違う名前で呼べば、「初めてこの種の宿に泊まる人」が入りやすい入り口に変わる。前の客層を消す方向ではなく、前の建物の都合をそのまま残したまま、客層だけ別に呼び直している、という感じがある。
まとめ
三つを並べてみると、共通項は分かりやすい。誰かが新しく建てたのではなく、すでに建っていた建物を引き受けた、という一点だ。
ただ、引き受けたものは建物だけではない。シロアリの被害、商店街の沈黙、後継者の不在、ドヤ街と呼ばれていた歴史。前の人が残していった負の側まで引き受ける、ということがセットになっている。それでも引き受けるほうが、新しく建てるよりも面倒が少ない、というわけでもなさそうだ。シロアリの柱は素人では直せず、養女になる手続きは戸籍に踏み込み、線路脇の騒音は塗り替えても消えない。
それでも残るのは、たぶん、新しく建てると周りの記憶を引き継げないからだ。シャッター街に新築のビルを建てても、シャッター街は変わらない。続いてきた食堂を畳むと、五個体の熊を食べ比べる料理は二度と作られない。安宿の元のかたちを消してしまうと、そこに泊まりたい人がいる、という地味な事実そのものが消える。
引き受けた人たちは、建物を引き受けたつもりで、その場所が抱えていた小さな記憶のほうを引き受けてしまったのではないか、という気がしている。
参考にした動画
- 二百万円の元眼鏡店ビルをバーに:東北シャッター街八百平米の挑戦(ある自前で直す方の記録) — https://www.youtube.com/watch?v=ahCGNvhbj6I
- 世界遺産・五箇山の獣肉を出す食堂と、たまたま訪ねた方が養女として継承した話 — https://www.youtube.com/watch?v=vgougyBIUc0
- 川崎の元ドヤ宿を改装した個室宿の宿泊レビュー — https://www.youtube.com/watch?v=P9Qh0HqOPuo