ジャンル違いの三本の YouTube 動画を続けて観た。一本目はロードバイクのギア変速、二本目は江戸時代の裏長屋に住む駕籠掻きの帰宅作法、三本目は冷蔵庫のなかった江戸の屋台寿司職人の仕込み風景。題材も時代もばらばらだが、並べてみると、同じひとつの構えが浮かびあがってくる。
どれも、「変わってから動く」のではなく、「変わる前にひと手」加えている、という構えだ。
重くなってからギアを変える、倒れてから寝床に沈み込む、腐ってから捨てる——どれも、もう遅い。
順に書いてみたい。
1. 傾きが変わる前に — サイクリストの西さん
ロードバイクのギア変速を解説する西さんの動画は、最初の数分でひとつの原則を立てる。「重くなってから軽くする、軽くなってから重くするのは、両方とも遅い」。坂の傾きが変わってから足の重さに気づいて変えるのではなく、傾きが変わる前にもう変えておく。これが原則だ、と西さんは言う。
足の回転の速さは一定が良い、という話が続く。回転の拍子が崩れると、筋肉のはたらきの拍子もそれに引きずられて崩れ、力の消費がかさむ。冷房をこまめにつけたり消したりするほうが、つけっぱなしより電気を食う、というたとえが出てきた。
うまいサイクリストほど、変速の回数が多い、という指摘も印象に残った。それは技術というより、前を見て先を読む余裕がある証拠なのだという。立ち漕ぎの直前、角に入る手前、橋の段差が来る寸前——そういう「前」のところで、もう手は変速のほうに動いている。
つまりここで語られているのは、坂を制する技ではなくて、坂が来るより先に体勢を組み替える作法のことだ。重くなってから歯を食いしばるのは、無駄を増やすことに等しい、というわけだ。
2. 倒れる前に冷ます — 江戸の駕籠掻き泰助
二本目は、江戸時代の裏長屋に住む駕籠掻き「泰助」の一日を、語りで追っていく動画。語り手は江戸庶民の暮らしを「気枯れ(けがれ)」という言葉で説明する。極度に疲れた状態を「気が枯れた」と呼び、そのまま寝床に倒れ込むことを忌み嫌った——という話だ。
体は火が消えかかった灯火のようなもので、無防備に寝ることは芯を自分の手で吹き消す行為に近い、と泰助は教わっている。だから泰助は、家に帰っても寝床に直行しない。土間の柱に背中を預けて胡坐で座り、激しい鼓動と高い体温を、硬い柱越しにゆっくり下ろしていく。一杯の白湯を飲んで、内臓を起こす。
朝も同じだ。目が覚めても起き上がらず、横になったまま、指先が動くか、熱がないか、関節がきしまないかを確かめる。両手をこすり合わせ、足先から肩まで全身をさすってから、冷たい水で顔を洗う。
ここでも、ぐったりしてから何とかしようとはしていない。倒れる前に冷ます、本当に動き出す前に体に問いを向ける。動画の結びは、現代人は「働くために休む」のに対して、江戸人は「生きるために休んでいた」、というものだった。
たいへんに地味な作法だが、見方を変えると、これはずいぶん高度な体の使い方だと思う。
3. 腐る前に手をかける — 屋台寿司の次郎吉地
三本目は、冷蔵庫のなかった江戸の文化年間、隅田川沿いの屋台で寿司を握っていた無名の職人「次郎吉地(じろきち)」の一日を、創作物語のかたちで追った語り。森沙田こさんという書き手の歴史記述を引きながら、江戸前寿司の「仕事」が、腐敗との戦いから生まれていったことを語っていく。
夏の江戸は三十度を超え、氷もない。仕入れた魚は、そのまま置いておけば数時間で危うくなる。だから次郎吉地は、出す前にひと手をかける。小肌は塩を一枚ずつ振り、水分と臭みを抜いてから酢で〆る。マグロは濃口醤油の桶に沈めて漬けにする。穴子は煮て、その煮汁をさらに煮詰めて、表面に爪(つめ)を塗り、乾燥を防ぐ。
要するに全部、「腐る前」の手仕事だ。塩、酢、漬け、煮詰めの艶——どれも、出してから劣化を遅らせる工夫ではなく、出す前にあらかじめ劣化を遠ざけておく工夫である。動画はこう結んでいる。「腐らせないための知恵が味になり、味が文化になった」。
つまり、いま私たちが「江戸前寿司の味」と呼んでいるものは、後手の保存技術ではなく、先手の手仕事の集積なのだ、ということになる。手間を「あと」ではなく「まえ」に置いた人たちの仕事が、二百年後の味として残っている。
まとめ
三本を並べると、表向きはまるで違う題材なのに、同じ骨組みが浮かびあがる。坂が来てから踏ん張るのではなく、坂が来る前にギアを変える。倒れてから休むのではなく、倒れる前に柱で冷ます。魚が傷んでから捨てるのではなく、傷む前に塩と酢と醤油でひと手かけておく。
| 三本の動画 | 「変わる前」のひと手 |
|---|---|
| ロードバイクのギア変速 | 傾きが変わる前にギアを軽くする |
| 江戸の駕籠掻き泰助 | 寝床に入る前に柱で体を冷ます |
| 屋台寿司の次郎吉地 | 出す前に塩・酢・漬け・煮詰めをかける |
おもしろいのは、三人とも「我慢しろ」「頑張れ」とは言っていないことだ。むしろ逆で、本当に重くなってから歯を食いしばるのは下手な走り方だ、というほうに近い。坂が来るより前に組み替えれば、力はそんなに要らない。倒れてから何とかしようと暴れるより、倒れない順番をなぞるほうが、結局のところ消耗が少ない。腐ってから捨てるより、出す前に塩を振っておくほうが、たぶん安く済む。
私たちは、何かが起きてから動くことを「対応」と呼びがちだ。けれど三本の動画を続けて観たあとに残ったのは、「対応」と呼んでいるもののかなりは、手遅れの後始末をただ丁寧な言葉に言い換えているだけなのではないか、という印象だった。
「ひと手間早い」というのは、一見すると余裕のある人の作法のように響く。でも実際には逆で、余裕がないからこそ「変わる前」に手を出しておく、という話なのだろうと思う。坂を相手にするときも、自分の体を相手にするときも、明日も売る一皿を仕込むときも、たぶん同じことが言える。
派手な追い込みのほうが、外から見れば目立つ。けれど本当は、誰にも気づかれないところで「変わる前」に静かに動いておくこと——そのほうがずっと長く効く作法なのではないか、という気がしている。
体に触れる話を含むので、ひとこと添えておきたい。人によって体の反応はずいぶん違うし、強い不調が続くときは、昔の知恵をなぞるよりも医師に相談するほうが早い。ここに書いたのは、あくまで「こういう作法が紹介されていた」という話だ。
参考にした動画
- ロードバイク・ギア変速の正しいタイミング — https://www.youtube.com/watch?v=WVVJN-VOGRE
- 江戸庶民の「倒れないための急速順番」:駕籠掻き泰助に学ぶ休み方 — https://www.youtube.com/watch?v=08rxZT-AaUI
- 江戸の屋台寿司職人 次郎吉地:腐らせない知恵が文化になる — https://www.youtube.com/watch?v=fLpBYuH-LgI