走り終えて、時計を外したときに気づいた。

手首のところだけ、肌の色がはっきり違っていた。腕の側はうっすら赤みのある茶色になっているのに、時計のあった幅だけが、もとの白さのまま残っている。境目は思ったより整っていて、こちらの了解を得ずに、誰かが定規を当てて引いた線のようでもあった。

最近、走るときの日差しはずいぶん強い。

朝のうちならまだ涼しいだろうと思って出るのだが、海沿いまで来るころには、すでに腕が熱を持ちはじめている。長袖をやめてから、まだ何度も走っていない気がしていた。それなのに、肌のほうはきちんと数を数えていたらしい。私が忘れているあいだに、太陽との取り引きを淡々と進めていたのである。

ありがたい記録だと思う一方で、少し落ち着かない。

その白い細い帯は、私が時計を着けていた時間でもあるし、同時に、私が走ることに費やしてきた朝の合計でもある。ふだんは数字でしか把握できないものが、こうして肌の上に、別の色として残るというのは、なんとなく気味の悪いことでもある。

鏡の前で腕を回してみる。

外側はちゃんと焼けているのに、時計の下だけが妙に白い。光が当たらなかった場所と当たった場所が、こんなに近くで肩を並べているのを見ると、自分の身体がふたりぶんあるような気がしてくる。表に出ていた腕と、ずっと隠されていた腕。同じ私のはずなのに、片方だけが、外の世界の覚えを引き受けているのである。

そう思ってから、白い帯のほうを少しだけ強く見るようになった。

焼けたほうは、走った証として、どこへ出してもすぐに納得される。けれど、焼けなかったほうの肌は、私がまだ外へ持ち出していない時間の色のようでもあった。机の前にいた朝、雨で走らなかった日、誰にも見せなかったぼんやりした時間。そういうものが、時計の幅のなかに薄くたまって、この白さを保っていたのではないかと、ふと思う。

シャワーのあと、また同じ位置に時計を戻した。

帯は隠れて、腕は一本に戻った。けれど、いったん見てしまった境目は、布の下にもまだあって、そこだけが少し冷たいような気がした。明日もまた走る予定で、腕はもう少し焼けるだろう。境目は、その分だけ、わずかに動くか、前よりはっきりするかのどちらかだろうと思う。

私は、それを楽しみにしているのか、こわがっているのか、自分でもよくわからない。