「まだ大丈夫」というひとことが、後から振り返ると、いちばん危なかった、ということがある。山の朝に、雪の夜に、慣れた工房で。声に出した瞬間は、普段と何も変わらない平地に立っている気がしている。前に進んでも別に何も起きないことのほうがずっと多いので、その「いつもと同じ」に体重を載せてしまう。
それでも、後から記録を読むと、引き返せる一瞬は確かにあった。誰かが声を上げ、誰かが止め、誰かが「やめておこう」と言えば、別の朝が来ていたはずだった。
なお、寒さや一酸化炭素の影響、低体温症の進み方は人によって出方がかなり違うらしい。本文中の数値も、紹介された動画のなかで出てきた値で、自分の状況にそのまま当てはまるわけではない。違和感が強く続くようなときは、自分で抱え込まずに専門家を頼ってほしい、ということだけ先に置いておきたい。
「まだ大丈夫」は、しばしば「もうダメ」のすぐ手前に立っている。
順に書いてみたい。
1. トムラウシ山 — 台風の朝、登り続けた人たち
二〇〇二年七月、北海道のトムラウシ山。台風六号が南から急速に近づいていた。同じ山域に二つの登山の一団がいて、ひとつは下山を選び、ひとつは予定通り山頂を目指した。
下山を選んだ側の代表のAさんは、決して安全側にだけ寄っていたわけではない。台風はまだ上陸しないと読み、食料の都合もあって、強い風のなかを動き続けた。途中で調子を崩したAさんは、本来は巻くはずだった山頂を直登してしまう。三時間の行程を五時間かけて登り、強風に煽られて転倒し、自力で歩けなくなった。仲間が簡易テントと寝袋でくるんで先に下山したが、低体温症から脳梗塞を起こして亡くなる。
もう一方の側もこの朝に出発していた。山小屋の支配人が「やめたほうがいい」と勧めたのを、案内役のEさんは「台風は弱まる」と読んで受け入れなかった。八人で出発し、増水した沢を何度も渡り、Fさんが体調を崩して動けなくなる。Fさんも凍死で発見された。
事故の分析では、いくつもの心の癖が重ねられていた、と説明されている。「ほかの人もそう言っているから」「ここまで来たのだから」「いつもこの時期に来てもなんとかなった」。それぞれが小さく、どれもありふれた言葉で、組み合わさるとぬるりと一つの方向に流れていく。
そこに添えられていた言い回しが、「まだ大丈夫」は「もうダメ」だ、という一行だった。下山判断の根拠が「まだ動ける」「まだ見える」になった時点で、もう余裕は使い切られている。先頭に立つ人の仕事は「全員を生きて帰すこと」であって「予定を遂行すること」ではない、という説明にも目が留まる。
2. 氷ノ山 — 大寒波のキャンプと、車のなかで眠った人
二〇二一年十二月、氷ノ山に五人がキャンプに行った。気象庁が緊急発表の水準で大寒波を告げていた。五人のなかには雪山の経験を三十年積んだBさんもいた。「翌日の昼までに撤退できれば大丈夫だろう」と話して、予定地が使えなかったため、登山口から八キロほど奥に設営している。
朝五時、テントの上の雪が滑り落ちる音で目が覚めた。山道はすでに一メートルの積雪。二台の車に分乗して降りようとするが動けない。Bさんだけは「いける」と言って、自分の車に一人で残ったという。
排気の危険は、雪に埋もれた車のなかで静かに進んでいく。マフラーが雪で塞がれると、排気が車体の隙間から戻ってくる。色も匂いもない。動画で紹介されていた数字によれば、二十分そこそこで体に危険な濃度に達するという(実験条件によって幅があるので、自分の車にそのまま当てはまるとは限らない)。Bさんは運転席で動かなくなっていた。
残された四人は、消防から指示された「その場で待機」を破った。「眠ったら死ぬ」と判断して、二日にわたって雪をかき分けながら下山する。七十代のAさんが緑色のネットの幻覚を見始めたところで、上空の救助隊が斜面の足跡を見つけて降下した。実際の進行距離は、車から一キロだったという。
ここで強く効いていたのも「慣れているから読める」という感触だった。三十年の積み重ねが、その日に限って通用しなかった。窓を少し開けるだけでは助からない、と後から書かれている。生き残るためには、車のマフラー周りを定期的に掘ること、見つけてもらうための色や煙を準備しておくこと。座っているだけでは助けに気づいてもらえない、という話が、いちばん身に堪えた。
3. 木工房 — 慣れた手元と、戻ってこなかった指先
場所を変えて、アメリカで木工をしている、ある配信者の方が、自分の事故を語る動画がある。二〇一九年、彫刻のためにチェーンソー型の刃を回す手持ち工具を使っていて、強烈な反発を受けた。親指は裂け、人差し指の先端は戻ってこなかった。薬指の腱も切れた。すべての防具を身につけたうえでの事故だったという。
この工具は、業界のなかで指折りに危ない部類に入る。三十年、四十年と無事故できた職人さえ巻き込まれることがあるらしい。「自分は慣れているから」が通用しない、ある種の運の細さがある。
その方が探したのは、人が必ずミスをする前提で組まれた工具だった。三Mがミネソタで開発し、ドイツで作っている新しい型の手持ち工具では、刃が引っかかった瞬間に電気を切る仕掛け、電子的な制動、落とした瞬間に止まる感知、押している間しか動かないボタン、手を離して再起動しない保護。これらが一つの本体にまとめて入っている。
おもしろいのは、こうした安全の仕掛けが「自分の腕」とは切り離されていることだった。腕に頼って気をつけるのではなく、気をつけるのを忘れた瞬間でも止まってくれる工具を選ぶ。一度買って、長く付き合うほうがいい、という言い方をしていた。安いものを買い替え続けるより、初めに少し痛い金額を払って、二度と買い直さない。
職人の自負と、職人の事故。この二つは矛盾しないし、むしろ並走しているのだろう、と思う。
まとめ
三つを並べてみると、共通する一瞬がある。山小屋の前で「行く」と言った瞬間。車のなかで「いける」と答えた瞬間。工房で刃を当てる前の一秒。それぞれの場面で、引き返す道は確かに開かれていた。けれどどの場面でも、「いつもと同じだ」「自分は慣れている」という感触が、引き返す側ではなく、進む側に体重を載せた。
| 場面 | 直前のひとこと | 通用しなかったもの |
|---|---|---|
| トムラウシ山の朝 | 「台風は弱まる」「ここまで来たのだから」 | 経験則と仲間内の同調 |
| 氷ノ山の車中泊 | 「翌日の昼までに撤退できれば」「いける」 | 雪山三十年の勘 |
| 木工房 | 「これくらいなら」 | 防具と慣れの組み合わせ |
引き返さなかった人たちが愚かだったとは思えない。むしろ、こちら側で記録を読んでいる私のほうが、同じ朝に同じ判断をしないとは言いきれない。雪山三十年の人が、雪に埋もれた車のなかで動かなくなる。何重にも防具を着けた職人が指を失う。台風を読むつもりが、自分の楽観のほうを読み違える。
教訓らしい教訓に落とし込みすぎないようにしたい。それでも、ひとつだけ拾えるとしたら、判断を「自分の感覚」だけではなく「外側の仕掛け」に少し預ける、ということなのかもしれない。気象の予報に従う、宿の支配人の警告を採る、安全の仕掛けがあらかじめ仕込まれた工具を選ぶ。腕や勘そのものを否定する話ではない。腕や勘が働かない場面が、確実に来るからだ。
「まだ大丈夫」という言葉を、これからもふと口にすると思う。そのとき、自分が「もうダメ」のすぐ手前に立っているかもしれない、という可能性を、頭の片隅に置いておく。それだけで、引き返せる一瞬の手触りが、ほんの少し早く近づいてくるのではないか、という気がしている。
参考にした動画
- 2002年トムラウシ山遭難事故:台風直撃下の登山判断とバイアス分析 — https://www.youtube.com/watch?v=nuBaxGtZ1_Q
- 氷ノ山雪山キャンプ遭難事故と一酸化炭素中毒の恐怖 — https://www.youtube.com/watch?v=RxB-lSwMM5w
- アングルグラインダーで指を失いかけた経験と3M製安全モデル — https://www.youtube.com/watch?v=Qu-ntmIvfbE