「これがいい」と道具を勧めてくれる人がいる。理由を聞くと、もう一段詳しい話が返ってくる。「ここの硬さが効くから」「指がここに当たるから」「自分のやることがこれ寄りだから」。聞いていると、不思議と、その人の手や姿勢や働き方まで一緒に見えてくる。
道具の良し悪しを語っているはずなのに、なぜか語り手のかたちが浮かびあがる。道具と一緒に、自分の使い方を説明しているからだろう。
ランニングシューズを 3 つの基準で選ぶ理学療法士、100 年超の万年筆メーカーを 2 つの軸で並べ直す愛好家、AI 各社のサービスを 4 つに絞り、半年で 2 つを切ったかこなさん。題材はばらばらだが、いずれも「自分はこういう物差しで選んでいる」という話をしていた。私はこの 3 人の物差しの並べ方が、ここしばらく気になっていた。
なお、靴の話は身体に関わる部分があるので、足のかたちや走り方は人それぞれで、ここで紹介する基準が万人の正解とは限らない、ということだけ先に置いておきたい。痛みや違和感が続くようなら、自分で抱え込まずに医師や専門家に相談してほしい。
物差しを口に出すと、ついでに自分の使い方が立ち上がってしまう。
順に書いてみたい。
1. ランニングシューズ — 足を育てるための 3 つの物差し
1 本目は、理学療法士をしている方が、自分のランニング歴と照らし合わせて「足を育てる靴」を選び直す動画だった。
走り始めて 3 ヶ月でフルマラソンを 3 時間 30 分以内で走れるところまでいったのに、速さを引き出すレース用の靴ばかり履いた結果、腿の裏をはじめ多くの怪我を抱えてしまった、と語っている。その反省から出てきた一行が印象に残った。
マラソンは、怪我をしなければ早くなるゲームだ。
ここから 3 つの物差しが出てくる。
- 踵の芯:指で押して潰れない硬さがあるか。これがあれば踵の骨が垂直に保たれ、足首が内側に倒れ込まない
- 靴の背骨:土踏まずに仕込まれた剛性の板。雑巾絞りで簡単にねじれるようでは足のねじれを抑えられない
- 指先の自由:指がきちんと広がれるだけの余裕。これがあって初めて、足が衝撃を吸収するばねとして働くらしい
注意したい 2 足、守護神の 3 足、と並べていく。守護神に挙げられるのは、ミズノのウェーブライダー、HOKA のクリフトン、アシックスのゲルカヤノ。それぞれの理由が、踵の包み方、接地のなめらかさ、骨格の保ち方として説明される。
おもしろいのは、これが「靴の性能一覧」の話に終わらないことだ。語り手は同時に、自分の弱いところ — 怪我をしやすい腿の裏、ねじれに耐えられない足首、指を縮めて走ってしまう癖 — を口に出している。靴の話をしているはずなのに、自分の身体のどこに芯がないかを白状している。
「速さを売りにした靴は本番だけ。日々の足作りには使わない」と結ぶ。物差しと、自分の使い方が、ひと続きになっている。
2. 万年筆 — 100 年企業のクセを 2 軸でつかむ愛好家
2 本目は、プラチナ万年筆という 1919 年創業の老舗の全機種を、上から下まで並べ直す動画だった。100 年以上やってきたメーカーを「2 つの大きな特徴」で整理している。
- 長く放置しても乾かない仕組み(スリップシール機構):キャップの中にもう一枚内側の蓋が入っていて、ペン先を密閉する。1〜2 年放置しても書ける、というレベルの乾燥対策で、他社にはまねできていないらしい
- インクの入れ方が一通り:胴体ごと吸い込む方式は無く、カートリッジか専用の吸入器を使う 2 通りだけ。だから「胴体そのものにインクを吸い込ませる感触が好き」という人には、そもそも合わない
この 2 軸を入り口にして、安価な入門機から、看板の 3776 センチュリー、硬い書き味のプレジデント、うるし塗りの最上位「出雲」(屋久杉の軸でも 8 万 8 千円から)までを一望していく。
その中で、語り手が淡々と差し込んでいる一文が良かった。
書き味の決定要因は、ペン先が 14 金か 18 金かよりも、形状とペン先端の仕上げの方が大きい。
14 金対 18 金の論争は、万年筆好きの間ではよく聞く話らしい。そこに対して「いや、それより形状を見たほうがいい」と物差しを置き直している。
そして「安いものより高い金属ペン先を買うくらいなら、思い切って金のペン先へ行け」というはっきりした境界線も置く。
ここでも、語られているのは万年筆の仕様ではなく、語り手の使い方だ。長く放置しても書きたい人、硬めのカリッとした書き味が好きな人、芸術品的なものを 1 本持っておきたい人。物差しを聞いていると、その人の机の上の風景まで見えてくる。
3. AI — 半年で物差しが入れ替わる人
3 本目は、企業向けに AI 研修をしているかこなさんが、自分の課金しているサービスを 4 つに絞って紹介し、半年前に課金していた 2 つを切った理由まで添えていた。
残した 4 つは、ChatGPT、Gemini、Claude、Manus。やめた 2 つは、Cursor と Genspark。それぞれに短い理由が並ぶ。
- ChatGPT は、新しいモデルでの会話の自然さと、コードを書かせる仕組みが強い
- Gemini は、メール・カレンダー・文書をそのままいじれる連携と、付いてくる容量で実質の負担が下がるところ
- Claude は、文章を書かせたときの自然さ
- Manus は、単に答えるのではなく、人の代わりに作業を進めてくれるところ
切った理由が、また物差しになっている。Cursor はコードを書かせる仕組みが Claude 側で代わりに使えるようになったので外した。Genspark の資料生成は Manus に吸収されたので外した。
ここでの物差しは、靴や万年筆と少し性質が違う。半年で逆転する、ということを語り手は何度も強調している。
半年前に必須だったサービスが、いまは別の AI で代わりに済んでしまう。だから「今この瞬間、自分の使い方に対して払う価値があるか」を、その都度見極めるしかない。
物差し自体に賞味期限がある、というのは、靴や万年筆の選び方とはだいぶ違う構えだ。それでも、語っているのは結局同じことだと思う。自分のやりたい仕事の輪郭 を持っていないと、何を残し何を切るかの判断ができない。
まとめ
3 人とも、道具の話をしているふりをして、自分の使い方を口に出している。
| 題材 | 物差し | そこに浮かぶ自分 |
|---|---|---|
| ランニングシューズ | 踵の芯、背骨、指の自由 | 足のどこが弱いか、どこを守りたいか |
| 万年筆 | 乾燥対策、入れ方の方式、ペン先端の仕上げ | 放置しがちか、硬い書き味が好きか |
| AI 各社 | やりたいことごとに使い分ける | 仕事の輪郭、入れ替えの判断軸 |
物差しの寿命はずいぶん違う。靴は何年か持つだろうし、万年筆の物差しはもっと長く、AI のほうは半年で見直しが必要らしい。それでも 3 人に共通しているのは、「これがいい」と勧める前に、まず自分の手や姿勢や仕事の癖をちゃんと見ている、ということだ。観察を済ませていないと、誰かの物差しをそのまま受け取って、合わないものを選んでしまう。
「これがいい」と人に勧めたくなった時、自分はその前に何を観察したのか — それを一度言葉にしてみる。立ち上がった物差しは、もちろん他人の身体には合わないし、半年したら自分の身体にも合わなくなっているかもしれない。
それでも、誰かの物差しを借りるよりは、自分の物差しを一度言葉にしてみたほうが、たぶん遠くまで連れて行ってくれるのではないか、という気がしている。
参考にした動画
- 理学療法士のランニングシューズ選び:3 つの絶対基準+注意 2 足+守護神 3 足 — https://www.youtube.com/watch?v=XjQw9FXSLoM
- プラチナ万年筆ラインナップ完全ガイド(プレピーから出雲まで・主観多め) — https://www.youtube.com/watch?v=NAlKuDMJHWU
- AI ガチ勢が課金すべき AI ツール 4 選&やめた 2 選 — https://www.youtube.com/watch?v=eL8EcDAGXzA