夜中の二時に、壁の向こうから、低い音が突き上げてくる。

音楽というより、拍だけだ。ドッ、ドッ、と、床と背骨を同じ間隔で叩いてくる。隣の部屋に去年から越してきた、若い男たちである。何人で住んでいるのか分からない。明け方に笑い声がして、昼にはひっそりしている。注意に行ったのは、もう三度になる。

「すみませーん」とドアの隙間から顔だけ出して、悪びれもせず笑う。そして、その夜にはまた、ドッ、ドッ、とくる。

管理人に言うと、困った顔をして、こう言った。

「まあ、若い子のすることですから。じきに落ち着きますよ。若気の至り、ってやつでね」

若気の至り。

その言葉を聞いた瞬間、私の腹の底で、何かが、冷たく固まった。冗談じゃない、と思った。眠れない夜が何十とあって、こちらは昼間ふらふらで、それを「至り」のひとことで、なかったことにしてやれと言うのか。私は、この件だけは、若気の至りでは済ませてやらない、と決めた。決めて、布団に戻って、天井をにらんでいるうちに、もうひとつ、別のものが、暗がりからこちらを見ていることに気づいた。

三十年前の、私自身である。

その頃、私は二十歳そこそこで、いまの隣の連中と、寸分たがわぬことをしていた。安アパートの一階で、夜通し友人と騒ぎ、上の階の田河さんという老人が、杖をついて何度も降りてきた。「頼むから、静かにしてくれんか」。私たちは、その背中を、笑った。

田河さんは、垣根に朝顔を這わせていた。

それだけが、あの偏屈な老人の、たったひとつの柔らかいところだった。毎朝、水をやり、しおれた花を摘み、誰にともなく、今日は十二、と数えていた。その数える声が、また、私たちには、おかしくてたまらなかった。

ある晩、酔った勢いで、私たちはその垣根に、洗剤を撒いた。

理由なんて、なかった。注意されたのが鬱陶しかった。数える声が癇に障った。ただ、それだけだ。翌朝、緑の蔓は、葉の一枚ずつから茶色く縮れていき、昼には、垣根は枯れた針金の塊になった。田河さんは、その前に、長いあいだ、立っていた。何も言わなかった。ただ、立っていた。

それきり、田河さんは、朝の声を出さなくなった。

その秋に、田河さんは引っ越していった。どこへ行ったのか、生きているのか、私は知らない。私はそのアパートを出て、就職して、結婚して、子を持って、離れて、いまは一人で、この部屋にいる。長い年月のあいだ、あの垣根のことは、思い出しても、せいぜい「若い頃は、ひどいこともした」という、苦笑いの引き出しに入れてあった。みんなが、そう入れている、あの引き出しだ。若気の至り。あれをやったのは、まだ世間を知らない、別の、未熟な私だ。いまの私とは、地続きではない——そういうことに、して、生きてきた。

壁の向こうの低音が、また、ドッ、ときた。

私は、起き上がった。腹の底の冷たい固まりは、隣の若い連中に向けたつもりだった。けれど、それは、向きを変えて、まっすぐ、三十年前の私を指していた。私は、田河さんに洗剤を撒いた人間だ。そして私は、その人間を、若気の至りという名前の引き出しに、ずっとしまっておいた。隣の連中を許せないこの怒りは、つまり、しまっておいた自分を、初めて、引き出しの外に引きずり出していた。

人間の値打ちというのは、平均ではないのだと思う。

良いこともした。人並みに働き、人を助けたこともある。それを全部足して、悪いことで割れば、まあ悪くない数字が出る。長いあいだ、私は、自分をその割り算で見ていた。けれど、田河さんの垣根の前に立つと、割り算は、効かない。あの一晩の私は、平均の中に溶けてはくれない。枯れた針金の塊は、何十年分の善行を上から積んでも、緑には戻らない。

だから私は、決めなおした。

隣の連中の騒音を、若気の至りで済ませてやらないなら、私の若気の至りも、済ませない。同じ秤を、両方に当てる。それが、せめてもの、筋というものだ。

翌朝、私はホームセンターで、朝顔の苗と、安い格子の支柱を買った。

ベランダの隅に支柱を立て、苗を植え、水をやった。これは、田河さんへの詫びではない。詫びる相手は、もう、どこにもいない。これは、私が毎朝、しおれた花を摘みながら、今日は何輪、と数えるためのものだ。数えるたびに、私が枯らしたほうの垣根を、思い出すためのものだ。

苗は、まだ蔓の先が、支柱に届いていない。私は毎朝、水をやり、隣の低音を聞き、三十年前の自分を、引き出しに戻さずに、外に出したまま、夏を過ごしている。