「もうやめようかな」と思った朝のことを、長く続けてきた人ほど、なぜか丁寧に覚えている。
辞めるかどうかの境目に立っていた瞬間は、続けるあいだのどこかで風景として薄れていく気もする。一日また一日、当たり前に同じことを繰り返しているうちに、辞めたいと思ったこと自体が誤差のように小さくなりそうな気がする。けれど三十年、四十年、人によっては六十年単位で続けてきた人の話を聞くと、そうでもないらしい。続けた時間が長くなるほど、その「辞めたかった日」は遠くに押しやられるのではなく、むしろ手元に残しておくものになっていく。なお、ここに出てくる走り続ける話は人それぞれの体に依る部分も大きいので、自分にそのまま当てはめないでほしい。
続けてきた人ほど、辞めたかった日の輪郭をはっきり覚えている
順に書いてみたい。
1. 走れる、というありがたさ — ある中高年の市民ランナーの方
「ランナーの友」を掲げる、ある中高年の市民ランナーの方がいる。30年以上走り続けてきたその方は、続けるための心がけを五つ挙げている。楽しむ、習慣にする、買い物や通勤を走る用事に混ぜる、緩い締切を作る、そして最後に「走れることに感謝する」。
最初の四つは、続けるための工夫だ。気合や根性で押し切るのではなく、走ることを生活の中に混ぜ込んで、サボれる余地を残しておく。報酬として大福やシュークリームを頭に思い浮かべながら走ると、苦しさが薄れる。寄り道もしていい。ひまわりを五分ぼんやり眺めていてもいい。週四回走る、くらいの緩い目標を置く程度でいい。続けてきた人の方が、むしろ自分に甘い余白を多く持っているのは、静かにおもしろい。
ただその方が最も大事だと言うのは、五つ目だった。怪我や病気で走れなくなる時期を重ねたあとに、ようやく「走れることは贅沢だ」と気づくのだという。走れない期間があったからこそ、復帰した最初の朝の風の冷たさが、晴れやかなものとして体に残る。四十代より五十代、五十代より六十代と、年齢が増えるほど「走れる」の手触りは深くなっていくらしい。
走れる体だけが自然にそこにあるのではなく、走れなかった時期の記憶を抱えていることが、続ける支えになっている、ということなのだろう。
2. 「年寄りだから無理」を跳ね返す — ある89歳の現役産婦人科医の方
沖縄マラソンの第一回大会から出続けている方がいる。ある89歳の現役産婦人科医の方で、開業四十年になる。出産は時間を選ばない。長時間の立ち会いを支えるためにも、体力は仕事の基礎なのだという。51歳でフルマラソンを初めて走り、自己ベストは沖縄マラソンで3時間20分台。
コロナ禍で大会の中止が続いていた間も、その方は院内のランニングマシンで毎日30分から1時間、体を動かし続けていた。その姿に押されるように、産婦人科の職員たちもつられて体力作りを始めたという。続けるということが、自分一人の話ではなくなっていく光景だ。
四年ぶりに沖縄マラソンが帰ってきたとき、その方の目標は完走、6時間15分。閉門時間を過ぎたら「ゲートをこじ開けてでも」入る、と冗談めかして語っていたという。「年寄りだから無理だ」と封じ込められるのを、跳ね返したい。高齢の方たちに希望を届けたい、と。
走り続けることを誰のためにやるのか、という問いが、ここでほぐれていく。仕事のため、ということもある。自分のため、ということもある。けれど一番大きいのは、たぶん「年齢の壁を勝手に決めてくる声」に対する、小さな反撃なのだろうと思う。
3. 茶碗の米と、3勝4敗の場所 — 二人の横綱の対談
ある第68代横綱の方が、第69代横綱の方をモンゴルに呼んで対談している映像がある。三つの質問が用意されていて、そのうちのひとつが「相撲を辞めたいと思った瞬間はあったか」だった。
第68代の横綱は、三段目時代のことを話す。風呂上がりはいつも最後にされ、食事中も兄弟子から精神的に追い詰められていた。ついに殴られた瞬間、手にしていた茶碗の米を兄弟子の顔に投げつけてしまったのだという。本気で辞めたいと思った、と。日本まで来て、関取にもなれないまま、こんなふうに終わるのかと。
もう一人の第69代の横綱は、デビュー場所の話をする。62キロでモンゴルから入門して、最初の場所が3勝4敗の負け越し。「自分はこの世界でやっていけるのだろうか」と本気で疑った、と語る。歴代の横綱七十五人のうち、デビュー場所で負け越したのはある初代横綱と自分の二人だけだ、と付け加える。
二人とも、その後それぞれ頂点まで行った人だ。けれど対談の中で語られているのは、頂点ではなく、その手前で「もうやめようか」と思った日のことだ。茶碗の米の重さも、入門のときの体重も、覚えている。続けてきた時間の長さは、辞めたかった日を遠くに押しやるのではなく、むしろ手元に置いておく方向に働くらしい。
まとめ
三人を並べてみると、続けてきた人たちは、辞めたかった瞬間の話を丁寧にしまっている、ということが見えてくる。
走れない時期を覚えているから、走れる朝の風が深くなる。コロナ禍で走れなかった期間があったから、四年ぶりのスタートラインが体に響く。茶碗の米を兄弟子に投げたことを忘れていないから、横綱としての我慢の意味がほどけて見える。
続けるとは、辞めたかった日を完全に消してしまうことではないらしい。むしろ、その日の輪郭を保ったまま、その次の朝に体を動かす、ということなのではないか、という気がしている。
辞めたい瞬間が来ること自体は、たぶん続ける人にも辞める人にも等しく訪れている。違うのは、その瞬間をどう扱うか、なのかもしれない。なかったことにしない。けれど閉じこもらない。ただ覚えておいて、明日の朝にもう一度だけ、靴を履く。続けてきた人の話には、いつもその静かな丈夫さがある。
体の事情は人それぞれだし、続ける形も走ることだけではない。仕事でも、楽器でも、誰かを介護することでも、辞めたい朝はかならず来る。来てしまっても、その朝を捨てずに次の朝へ移れるか、というだけの差なのだろう、という気がしている。
参考にした動画
- ランニングを続けるための5つのキーワード:楽しむ・習慣化・○○ラン・緩い締切・感謝 — https://www.youtube.com/watch?v=VtA13zNV4aY
- 89歳の現役産婦人科医、沖縄マラソン最高齢ランナー密着 — https://www.youtube.com/watch?v=5vqiiJbGafY
- 二人の横綱の対談「相撲を辞めたい瞬間/日本で行きたい場所/思い出の取組」 — https://www.youtube.com/watch?v=cvHpvQrCF2M