久しぶりに動かしてみようと思って蓋を開けると、止まっていたはずなのに、内側で何かが少しずつずれている。乗らずに置いておいた自転車、しばらく走らせていなかった電車の種別、展示会に出ていなかった老舗のメーカー。止めるという選び方は、そのままの形を保つことだと、私は長らく思っていた。動かさなければ減らない、と。
けれどそうではないらしい。止めていたあいだに、止めていたぶんだけ、別の方向に進んでいる何かがある。乗っていない自転車のゴムは硬くなる。走らせていない電車の種別データは消える。出ていない会社のなかでは、外と話す筋肉が痩せる。形は変わらず置かれているように見えても、内側で別の時間が流れている。
止めていたものは、止めていたぶんだけ、静かに何かを失っている
順に書いてみたい。
1. 二年置いておいた自転車 — ある自転車店の整備士の方
二年間、屋内に置きっぱなしのロードバイクを店に預けた方がいた。空気はベコベコだったらしい。点検と、交換すべき部品の全交換と、車体全体の洗浄をお願いする。受け取り時に、店の整備士の方が一つずつ説明してくれる。
交換が必要だったのはほとんどゴム素材だった。タイヤ、チューブ、リムテープ、ブレーキシュー、ベル。乗っていなくてもゴムは劣化する、というのが核だ、と整備士の方は言う。柔らかいゴムは異物を弾いてパンクしにくいが、硬くなると刺さりやすくなる。ブレーキシューも、硬化すれば効きが落ち、リムを削るようになる。
一方で、金属側の部品はほとんど無事だった。変速、ワイヤー、チェーン、スプロケット。保管が良ければ調整だけで済む。錆も伸びも出ていなかった、と。
つまり、二年止めていた自転車では、金属はそのままの形で残り、ゴムだけが内側で乾いていた。動かしていないこと自体が、緩やかに進行する別の過程だった、ということになる。「乗っていない自転車をそのまま乗るのはやめてほしい、必ず点検を」と整備士の方は念を押していた。乗らないことが保存だ、と思っていた手前の感覚が、ここで一度ほどける。
2. 駅から消えた種別 — ある鉄道会社の30周年復活運転
開業30周年を記念して、ある私鉄が一日限定で「快速」種別を復活させた、というレポートがある。一九九九年から二〇一四年まで定期で走っていた種別で、廃止から十二年ぶりの運行だった。
復活運転の当日、駅の電光掲示板はその種別を表示できなかったらしい。接近放送も、ホームの案内も、「各駅停車」と出る。廃止後の十年以上のあいだに、駅側のシステムから、そもそも種別データそのものが消されていたからだ、と動画では説明されていた。
ところが、車両側の表示器と、一部の駅の電光掲示板だけには、当時のデータが化石のように残っていた。背景色は黄色、文字は赤、スクロール表示。十二年ぶりに動き出した種別が、その車両と、一部の駅でだけ、当時の色のまま光って見えた。
止めていたあいだに、覚えている場所と忘れた場所がぱっくり分かれていた、ということだ。同じ会社のなかで、駅側はその種別を忘れ、車両側は覚えていた。動かしていない時間が、システムの隅々で均等に過ぎていたわけではなかった。
復活運転は、走らせるという行為そのものよりも、どこに何が残り、どこから何が消えたかを、改めて確認する作業に近かったのではないか、という気がする。
3. 営業がいなかった老舗 — 15年ぶりに展示会へ戻った模型メーカー
一九四八年創業、車や戦艦の模型で長く知られてきた老舗のメーカーが、十五年ぶりに静岡の大きな模型展示会に戻ってきた、というニュース密着がある。事業承継で、去年新しく社長を引き継いだ方が決断した、と紹介されていた。
驚いたのは、参加を決めた時点で、社内に営業担当が一人もいなかったことだ。受注を待つ姿勢で長くやってきた会社で、対外的なPRも営業活動もしてこなかった、と。展示会は商談の場である。そこに営業がいないのでは示しがつかない、ということで、業界歴十七年の営業の方を一月に新しく採用して、営業課そのものを立ち上げてから、五月の展示会に臨んでいた。
七十年以上のあいだ営業課がなかった会社が、参加を決めた瞬間に、まず人を足すところから動き出している。展示会に出ない十五年のあいだに、社内には「外と話す機能」がそもそも育っていなかった。出るためには、その機能を持つ人を雇うところから始めなければならない。
老舗のなかで、出ないことが長く続くと、出るための筋肉が静かに痩せていくらしい。十五年ぶりの挨拶回りを社長自ら開幕一時間前から始めた、というその様子は、戻ってきたというより、もう一度、外と話せる体に組み替え始めている、という方が近いのだろうと思う。
まとめ
二年置いた自転車のゴム、十二年消えていた種別データ、十五年欠けていた営業の機能。三つを並べてみると、止めていたあいだに失われていたものが、それぞれ違う形をしているのが見えてくる。
ゴムは硬くなる。データは消される。社内の機能は持たれないままになる。動いていなかったからこそ進んでいた変化があって、それは目に見える形ではない。空気が抜けただけだ、と思って蓋を開けると、内側のゴムまで硬くなっている。一日限りの運行だ、と決めれば走り出せると思ったら、駅側の表示が追いつかない。出展申し込みだけすれば足りると思ったら、応対する人がいない。
もう一度動かしたいと思ったときに、最初に必要なのは、再開そのものというより、止めていたあいだに何が変質していたかを見つけ直すことなのかもしれない。空気を入れる前にゴムを確認する。電車を走らせる前に、駅のシステムに種別を戻せるか確かめる。ブースを構える前に、商談を担う人をまず雇う。
止めることは、選び方として十分にある。ただ、止めているあいだに何がゆっくり別方向へ動いていくかを知っておくと、もう一度動かしたい朝に、最初にどこから触り直せばいいのかが少し見えてくるのではないか、という気がしている。
参考にした動画
- 2年放置したロードバイク(ピナレロ)の整備入院ドキュメント — https://www.youtube.com/watch?v=1m5Zvw4Uj-M
- 12年ぶり復活「東葉快速」乗車レポート(東葉高速鉄道30周年) — https://www.youtube.com/watch?v=_P7X3PhPTjk
- 老舗模型メーカー15年ぶり静岡ホビーショー復帰 密着レポート — https://www.youtube.com/watch?v=KdGNCj-ifFs