損か得かを誰かに代わって数えると、たいてい外から見ているほうの数え方になる。同じ仕事を、同じ数字で見ているはずなのに、本人と外側で帳簿のつけ方がずれている、ということが時々ある。
一ヶ月置いて表面を真っ黒にしてしまった大きなマグロ。店ごとに毎日二十四時間炊き続ける豚骨醤油のスープ。軽量化を選ばずに重たい望遠を背負って一泊の山に登っていく写真家。並べてみると、三つとも、外から数えれば「捨てている量が大きい」仕事に見える。
けれど本人たちは、その「捨てている」と外から呼ばれているところを、損だと思っていないらしい。むしろ、そこに自分の取り分がある、という顔をしている。
外から数えた「損」のところに、本人の取り分がある。
順に書いてみたい。
1. 一ヶ月置いたマグロ — 削いだぶんが味になる話
ある料理人の方が、二百三十キロを超える本マグロのブロックを一ヶ月かけて熟成させ、寿司に仕立てる動画があった。一塊で七万円。冷蔵庫の中で一度に近い低温と連続した風を当て、水分を抜いていく。一ヶ月後、表面は黒く硬くなり、脂の多い部位は色味も変わってしまっている。そこから血合い、黒変部、外側のスジ脂をかなり大胆に削ぎ落とす。残った内側だけが、深い赤色の身として現れる。
外から見ていて気になるのは、まず削ぐ量のほうだ。せっかく七万円のブロックなのに、半分近くが捨てる側に回っていく。家庭の感覚で見れば「もったいない」の一言で済んでしまう。
ところが本人は、削ぐぶんを「もったいない」と言わない。削いで残った内側の身が、生のままの寿司よりも甘みと香りを増している、と語る。表面の脂が抜けて軽くなり、口の中で重さが消える。一ヶ月かけて作っていたのは、削ぐぶんと残るぶんの差そのものだったらしい。
最後に本人はこう言う。次は大トロだけを熟成すればよい、と。一見、引き算の反省に聞こえるが、引き算したぶんを節約に回そうとはしていない。引き算は、もっと取り分の大きいやり方に向いている。
2. 店ごとに炊く24時間スープ — 抜けない時間で勝負する話
別の動画では、全国に店を持つあるラーメンチェーンの経営の話が紹介されていた。同じ規模の他社が、ほぼ一箇所の大きな仕込み場でスープをまとめて作り、各店舗には湯を温めて出すだけにしている時代に、この一社だけは「各店舗で二十四時間スープを炊き続ける」という運営を続けている、という話だった。
普通の言葉で見れば、これは丸ごと「非効率」と書かれる側に入る。人件費もガス代も保管場所も、よその仕込みかたに比べて確実に余計にかかる。それでも、このチェーンは長く記録的な利益を出している、と動画は説明していた。
ここでも、外から数えれば「無駄」だ。仕込み場をまとめれば消える時間、湯を温めるだけにすれば省ける手間。けれど中の人たちは、その省ける時間のほうを売り物にしているわけではないらしい。「うちで食べた人にしか食べられないスープがある」ことが、店の輪郭になっていく。
注意したいのは、これは「がんばっている」話ではない、ということだ。汗を流していることを売りにしているのではなく、二十四時間という時間そのものを、店の構造に組み込んで残している。「ここで作るしかない」と物理的に立てかけたぶんだけ、よそが真似しにくい看板になる。捨てているように見える時間が、客と店をつなぐ細い縄に変わっている。
3. 重い背負子で歩く山 — 諦められない重量の話
三つ目は、南アルプスの鳳凰三山を一泊で縦走するある写真家の動画だった。一眼の本体に加え、広角と望遠の長いレンズを二本背負っていく。長いほうは口径の大きい重たい望遠で、軽量を旨とするテント泊の常識からすると、過剰なほどの装備だ。
歩き始めから、本人は「重い」「ダラダラ長い」と何度もつぶやいている。地図に書かれているコースタイムは当てにならず、伸びていく一方になる。賽の河原と呼ばれる砂礫の登りでは「アリ地獄のようだ」とこぼし、途中では「軽量化したほうがよかった」と反省する場面まである。
ところが、頂上の少し手前にあるオベリスクと呼ばれる尖った岩塔の前に立ったところで、声が少し変わる。霊的なものを信じる人間ではないけれど、何か引力をはっきり感じる、と語る。数年ぶりの二度目の訪問でも、同じ場所が同じだけ自分を引き寄せてくる、ということに本人が驚いている。
その一枚を撮るために、彼は長い望遠を背負ってきた。コースタイムは縮められないし、登りの疲労も避けられない。けれど、その重さを捨てると、撮りたかった一枚には届かなくなる。外から見たら、軽くすればよかった一泊だ。本人の中の帳簿では、その重さこそが、頂上で渡される一枚への払いだったらしい。
まとめ
| 題材 | 外から数える「捨てている量」 | 本人の取り分 |
|---|---|---|
| 一ヶ月置いたマグロ | 半分近い削ぎ落としの量 | 削いだ差からだけ出てくる甘みと香り |
| 24時間炊くスープ | 余分な人件費・ガス代・時間 | ここでしか食べられないという輪郭 |
| 重い背負子の登山 | 余計な装備重量と伸びたコースタイム | その一枚にしか届かない望遠の重み |
三つを並べてみると、本人にだけ存在する帳簿の輪郭が、ぼんやり見えてくる。外側の帳簿は同じ行に「ロス」「非効率」「重量超過」と書く。内側の帳簿は、その同じ行に「ここからしか出ない味」「真似されない看板」「諦めなかった一枚」と書いている。同じ作業を別の言葉で言い換えているのではない。それぞれの帳簿の出口に置かれている「取り分」のほうが、最初から別のものを指している。
何かを続けるかどうかを決めるとき、どちらの帳簿に従って動いているのかは、当人にしか分からない。外から見て「もっと効率よくやれるのに」と長く言われ続ける仕事には、もしかすると外側からは見えない別の取り分が、ずっと前から引かれているのかもしれない。逆に、外から数えれば得に見える短い道を選んだとき、自分の内側の帳簿ではそれが取り分の薄い仕事だった、ということもあるのだろうと思う。
外から数える人と、内側で数えている本人。両方とも要る場面はあるし、どちらが正しい、というたぐいの話でもない。けれど、その仕事をやり続けるかどうかを決めるときに従うのは、たぶん内側の帳簿のほうなのではないか、という気がしている。
参考にした動画
- 二百三十キロ超の本マグロを一ヶ月熟成させて寿司に仕立てる料理動画 — https://www.youtube.com/watch?v=0pzhCRlTuis
- 店内でスープを二十四時間炊き続けるラーメンチェーンの経営解説 — https://www.youtube.com/watch?v=gDs465r0h70
- 鳳凰三山テント泊縦走・オベリスクと残雪の南御室小屋 — https://www.youtube.com/watch?v=6l7y2fTdFpE