乾麺の袋にもう一度手を伸ばす。家の壁に釘を打ち込む。机の上の灯りのつまみを回す。手の届く範囲のものを、少しずつ自分のちょうどに合わせていく作業は、地味なわりに、わりと飽きない。
大きな話ではない。料理の合わせ方、道具の寸法、灯りの強さ。それぞれ別の場所、別の時代で動いているように見える。けれど、よく見ていると、どれも「買ってきた品物に、自分の側を合わせていく」という、同じ手つきの話なのではないか、という気がしてくる。
「ちょうど」というのは、たぶん最初から決まってはいない。
順に書いてみたい。
1. 同じ麺を、三通りに
業務スーパーの 1kg 入り乾麺を、三通りに料理し分けてみる、という実食動画があった。同じ麺を、醤油ラーメンと、油そばと、焼きラーメンの 3 つで試す。細い麺で 1 食 90g、約 11 食分が 430 円。一人暮らしだと、使い切るのに 2 ヶ月かかる、という分量だ。
醤油ラーメンは、市販の鶏スープに、自分で炊飯器で作った蒸し鶏を薄く切って乗せる。油そばは、鳥皮とネギで油を作るところから始めて、たれを煮詰めて、最後に卵黄を落として混ぜる。焼きラーメンは、強火で麺に焦げ目がつくまで炒めて、紅生姜を添える。
おもしろいのは、3 つやってみて初めて、「この細い麺は、スープに浸すよりも絡める料理に向いている」と、はっきり分かることだった。細い、と最初から袋に書いてあるのに、一度の試食では、そこまでは言葉にできない。同じ袋からもう一度麺を引き出して、別の鍋に放り込んで、ようやく手触りが揃ってくる。
残りの 700g は、たぶんそうやってまた何度か向き合うことになる。「ちょうどよい使い方」というのは、最初の説明書きにはたいてい書かれていない。一度試して、もう一度試して、何度目かにようやく見えてくるところがあるのだろう、と思う。
2. 釘は、長すぎた
古典落語に、引っ越しの粗忽者の話がある。語り手であるある演者の方が、楽屋で初対面の先輩格の方から「靴下に穴が空いているね」と指摘され、翌日「履かなくなったものを持ってきた」と 5、6 足渡された、という楽屋話を枕に置いてから、本編に入っていく。
本編の主人公は、力自慢でそそっかしい大工の亭主だ。引っ越し当日、女将さんに「東屋の横丁を右」と指示されたタンスを、向こうの遠方まで担いで行ってしまう。新宿の手前まで暴走してようやく戻ってきたかと思えば、今度は、防火用の上着をかける釘を、雲の巣のあった壁に打ち込もうとする。
そこで使う釘が、長すぎる。八寸ある釘を、薄い長屋の壁にそのまま打ち込んでしまう。当然、先端は隣の家まで突き抜ける。「お向かいに謝りに行ってこい」と言われて隣を訪ねると、その釘の先は、向こうの仏壇のなかの阿弥陀様の頭から、にょきっと出ている。
笑い話だが、私もこの粗忽な大工と地続きのところがある気がした。道具と、それを使う場所の寸法が、合っていない。八寸の釘を選んだ基準は、その大工にとっては「太く長いほうが偉い」というだけだったのだろう。壁の厚みと、釘の長さと、向こう側に何があるのか——その三つが、頭の中でつながっていない。
ちょうどの長さ、というのは、買ってきた品物の側についてくる仕様ではなく、自分の手元の場所と相談しながら選ぶものなのだろう、と思う。防火着をかけるだけなら、八寸も要らない。二寸でも、たぶん足りた。笑い話を聞き終わったあとで、こんなことを少し考えてしまう。
3. 灯りを、合わせる
机の上の灯りを買い替えるかどうかで長く悩む、という話を時々聞く。ある道具紹介の動画では、二本の腕をばねで支える昔ながらのデスクライトの最新型を、紹介者の方が「私物にしたいぐらい」と熱く語っていた。
その灯りには、いくつもの「合わせる」工夫が入っている。年を取って目が黄ばみ、同じ明るさでも暗く感じる分を補ってくれる強さ。自然光に近い色の出かたで、紙の上の細い線がはっきり見える、色の出かたの正確さ。光源を奥に引っ込めて、ぎざぎざに加工することで、直視しても眩しくないようにする手当て。動かしたところで、ぴたりと止まる剛性。
なかでも一番いいな、と思ったのは、電源と明るさのつまみが別になっている、という細部だった。普通の灯りは、消してまた点けると、最大の明るさに戻ってしまう。これは点けるたびに「いま、この机にとっては明るすぎる」と感じて、毎回つまみを回し直すことになる。別々のつまみであれば、自分が長い時間をかけて見つけた「自分のちょうど」が、消したあとも保存されている。
「ちょうどの明るさ」というのは、その日の眠さ、紙の白さ、目の調子、書く文字の大きさ——色々が絡んで決まるもので、たぶん毎日少しずつ違う。けれど、大まかな「自分の好きな範囲」がどこかにあって、そこに帰ってこられるかどうかで、机に向かう時間の手触りが、静かに変わってしまう。
灯りの作りは、その「自分のちょうど」に手早く帰るための通路を、機械の側で用意してくれている、と言っていいのかもしれない。
まとめ
3 つを並べると、題材はずいぶんばらばらだ。安い乾麺と、古典落語の長屋と、机の上のデスクライト。けれど、どれも「買ってきたものに、自分の側を合わせていく」話だった気がしている。
| 題材 | 合わせる先 |
|---|---|
| 1kg の乾麺 | この細さに合う料理の仕方 |
| 八寸の釘 | 壁の厚みと、本来の用途 |
| デスクの灯り | その日の目の調子と眠さ |
ちょうどよさ、というのは、買ってきた品物の説明書きにも、伝わってきた落語の言い回しにも、製品の仕様書にも、最初からは書かれていない。同じ袋に何度も手を伸ばし、寸法を相談し、つまみを毎日回し直す——そういう、繰り返しの中でだけ少しずつ立ち上がってくるものなのだろう。
逆に言えば、八寸の釘で長屋の壁を突き抜けてしまう粗忽は、たぶん「合わせる」をすっ飛ばして、最初の選択でこちらが固まってしまったからだ。太いほうがいい、長いほうがいい、明るいほうがいい、麺は量が多いほうがいい——そういう一本道で決めてしまった瞬間、向こうの仏壇まで突き抜けてしまう、というのは、改めて考えるとあまり笑えない構図でもある。
家のなかに何かを置く、ということは、結局のところ、買ってきた品物に自分の側を少しずつ合わせていく、長い時間のことなのではないか、という気がしている。そしてその時間は、思っていたほど退屈なものではないらしい。
参考にした動画
- 業務スーパー 1kg 入り乾麺 430 円を 3 パターン実食する動画 — https://www.youtube.com/watch?v=jd9tC9zNV2A
- 古典落語「粗忽の釘」と「引っ越しの挨拶」改作 — https://www.youtube.com/watch?v=2knAvbjkp6Q
- 二本腕ばね式デスクライト最新型の解説 — https://www.youtube.com/watch?v=Fh1f84Y92xk