大阪城の地下に、もうひとつの大阪城が眠っている。豊臣秀吉が積んだ石垣がそのまま、徳川が盛った土の下で四百年眠っていた。
北海道の鵡川(むかわ)沿いには、新しい道に置き換わったあとも、川にずり落ちた擁壁の鉄筋がぶち切れたまま河原に残っている。
東北新幹線のE4系MAXは、一編成で千六百三十四人を運べる世界最大の高速車両だった。時速三百二十キロの時代に置いていかれて、いまは新潟の鉄道資料館の片隅に静かに置かれている。
題材も時代もばらばらだが、共通しているのは「上から新しい用が来て、古いほうが下や脇に押しのけられた」という形だ。そして奇妙に思うのは、押しのけられた古いほうが、上書きした新しい側よりずっと雄弁に物事を語る、ということだった。
上に建てたほうではなく、下に残ったほうが、その日に何があったかを覚えている。
順に書いてみたい。
1. 大阪城 — 赤く焼けた石
二〇二四年に開いた「大阪城豊石垣館」を訪ねるテレビ大阪の番組がある。あるゲーム実況の番組の方が案内を受けながら地下に降りていき、ある一枚の石の前で立ち止まる場面だ。表面の一部だけが赤い。これは大坂の陣の日に火を浴びた跡で、四百年経ったいまも色がそのまま残っている、と案内の方が説明する。
大坂の陣で秀吉の城は焼け落ちた。徳川幕府はその焼け跡を壊して片付けるのではなく、膨大な土で覆って封じ、その上に新しい大阪城を再建した。下に押し込まれた秀吉の石垣は、自然石をほとんど加工せずに重ねた古い積み方で、赤く焦げた色をそのまま持ったまま今も並んでいる。
地上の徳川の石垣は、形が揃った美しい切石でできている。どこを切り取っても整っていて、観光客が記念写真を撮るには申し分ない。けれど「いつ何があったか」を尋ねたとき、答えるのは下のほうだ。整っていない、加工されていない、赤く焦げた一枚の石が、その日の温度を覚えている。そのことに気づいたとき、地上の整った石垣のほうがむしろよそよそしく見えてくる。整った景色というのは、たいてい何かを上から覆い隠したあとに成立しているのかもしれない、と思う。
2. 北海道道六一五号 — 川に倒れた擁壁
北海道の廃道や旧道を歩く方が、占冠(しむかっぷ)村と穂別を結ぶ道道六一五号の旧道を踏破する動画を上げていた。鵡川の左岸、二風谷(にぶたに)の集落の手前あたりだ。
この道は災害が多く、何度も経路の付け替えが行われてきた。新しい道は崖の上に大規模なのり面工事を施した安全な経路で、車で走ればただ通り過ぎてしまう。しかし旧道のほうに降りていくと、川に倒れ込んだ擁壁の塊が、鉄筋をぶち切ったままの姿で転がっている。歩く方は衛星写真の年代別の画像を並べ、二〇〇七年には何ともなく、二〇一四年に崩れ、二〇二一年に土砂が片付けられ、二〇二三年にのり面工事が入った、と崩落の履歴を辿っていた。
途中、川辺で古びた下駄が一足拾い上げられる。誰のものとも知れない、ただ流れ着いてそこにある下駄だ。新しい道のほうには、こういうものは何も出てこない。崩れた擁壁も下駄も、旧道に降りないと見えない。歩いた方が最後に「自然が本気になると人の作ったものは安く壊れる」と漏らしていた。その安く壊れた残骸のほうが、ここで何が起きていたかを正直に伝えている、と私には思えた。
3. 新幹線E4系MAX — 新潟に置かれた一両
二階建て新幹線の歴史を辿る解説動画があった。一九八五年に登場した100系から始まり、E1系、E4系MAXへとつながる系譜だ。
バブル期に新幹線通勤が一気に膨らみ、一九八五年から九一年のわずか六年で通勤者は十倍になったという。座席が足りない、食堂車を組んでも機能しない。そこで全車二階建てという思い切った形が出てきて、E4系MAXは一編成で千六百三十四人を運ぶ世界最大の高速車両になった。
ところがその十年ほどあとには、求められるものが「速さ」に変わる。E5系の時速三百二十キロに対し、E4系の上限は二百四十キロ。高速化したダイヤの中では、重い二階建てが他の列車を待たせてしまう。二〇二一年、最後の「MAXとき号」で全車が引退した。
引退したあと、先頭車の一両が新潟の鉄道資料館に保存されている。現役を退いて、駅でも工場でもない場所に静かに置かれているその一両のほうが、「かつて通勤の人波がここまで大きかった」という事実を、いま走っているE7系よりよほど克明に伝えている。E7系の車内には、二階建ての階段も、通路を切り詰めた窮屈な座席配置も残っていない。滑らかに速く走るためには、過去の混雑を語る部品はもう要らないのだ。覚えているのは、走らなくなったほうだ。
まとめ
三つを並べると、どれも同じ形をしている。新しい用が上から来て、古いほうを下や脇に押しのける。押しのけられたほうは壊し切られたり捨てられたりせず、なぜか中途半端に残る。地下に埋められた石垣、川にずり落ちた擁壁、駅から外された一両。残り方が雑であるほど、そこに何があったかは生々しく伝わる。
新しいものは、整っているぶん「何が起きていたか」を消す。整えるとは、痕跡を均すということでもある。一方で押しのけられたほうは、整える理由をもうなくしているから、焦げた色も切れた鉄筋も剥がれた塗装もそのままにしておける。だからこそ、何があったかを知りたい人は、まず下のほう、脇のほうから見ていったほうがいい、と思える。
整っているものは現在を語り、整っていないものが過去を語る。同じ場所、同じ仕組みの中に、二つの時間が役割を分け合って残っている。記憶というのは、案外そういうふうに分業して残っているのではないか、という気がしている。
参考にした動画
- 大阪城を攻略:地下に眠る秀吉の大坂城 — https://www.youtube.com/watch?v=d2k0koT2QQA
- 北海道道615号 占冠穂別線 鵡川左岸の旧道:崩落した擁壁を訪ねる — https://www.youtube.com/watch?v=Vbzr14VQrDE
- 2階建て新幹線の興隆と消滅 — https://www.youtube.com/watch?v=0mPgbU5b1P8