うちの洗面台の鏡は、朝になると、まだ水も出していないのに、うすく曇っていることがある。

最初は気にも留めなかった。古い部屋なのだから、壁の内側にでも夜気がたまるのだろうと思っていた。ところが、ある朝、その曇りを手のひらで拭ったとき、向こうの顔が、ほんの半拍だけ遅れてこちらを見たのである。

そんなことは、もちろん理屈に合わない。鏡の中の私は、こちらと同時に動くはずだ。けれど、その朝はたしかに遅れた。目だけが、あとから追いついてきた。

それから私は、鏡の前に立つたび、ひとつの癖を持つようになった。

おまえは誰だと思う。

声に出すこともあれば、口の中だけで言うこともある。ふざけ半分のつもりだった。ところが、その問いを重ねるほど、向こうの顔はだんだん他人めいてきた。髪を押さえる指先の角度、まぶたの下りる速さ、口もとのわずかなゆがみ。どれも私のものに似ているのに、私より少しだけ手際がよい。まるで、私という顔を、先回りして稽古している者がいるようなのだ。

ある晩、走って帰ったあとで、汗の乾かぬまま鏡の前へ立った。室内はしずかで、換気扇の音だけが細くつづいていた。すると、曇った鏡の奥で、あの顔はもうこちらを見ていた。私が顔を上げるより先に、ちゃんと待っていたのである。

私はそのとき、少し腹が立った。待たれている、と思うのは妙なもので、こちらが本物であるはずなのに、遅れて来た者のような気がする。

おまえは誰だと思う。

こんどは、はっきり言った。

鏡の中の口は、私と同じように動いた。だが、声は聞こえない。そのかわり、曇りの薄いところへ、細い筋がすうっと現れた。爪でなぞったような、白い文字の筋である。

はじめは偶然だと思った。ところが二本、三本とつづき、やがてひらがなの形になった。

おまえが毎朝えらぶ顔だ

私は息を止めた。鏡に近づくと、文字はもう水気にまぎれて崩れかけていた。それでも最後の「顔」だけは、いやにくっきり残っていた。こちらの頬よりも白く、いやに古い紙の字のように見えた。

翌朝、私は少し寝坊した。鏡のことを確かめる気はあったが、同時に、見ないで済むならそのほうがよいとも思っていた。けれど顔を洗わないわけにもいかない。おそるおそる立つと、曇りはない。向こうには、見慣れた私の顔があるだけだった。

少し安心して、ネクタイを締めた。すると、結び目を整えたはずみで、鏡の下の金具に街の光がちらりと映った。そのごく小さな光のなかに、さっきまで正面にいたはずの顔が、横向きで笑っていた。

それ以来、私は鏡を見るたび、前より丁寧に顔をつくるようになった。寝不足の色、愛想の角度、疲れていないふりの目つき。どれも外へ出るために必要な支度だと思っていたが、このごろは少し考える。

あれは支度なのではない。毎朝、だれかに返すための答え合わせなのかもしれない。

だから今でも、ときどき鏡に向かって訊いてしまう。

おまえは誰だと思う。

すると、向こうの私は、たいてい私より先に、わかったような顔をする。