毎日できる、いちばん速い速さで走り続けること。数学の例題を、解説を読むだけで終わらせず、自分の手でもう一度書き起こすこと。合気道の稽古で、相手の親指を取る同じ角度を、何百回と繰り返すこと。題材も世界もまったく違うのに、上達の話になると、どの現場も同じ場所を指していた。派手な一発の技ではなく、いちばん地味な真ん中の反復。それも、ただ繰り返すのではなく、身体に沈むように繰り返すこと。
ふだん私たちは、何かを身につけたいと思うと、つい切れ味のよい技術や、短くまとめた要点を探したくなる。三日でわかる、ひと月で逆転する、というふうに、できるだけ効率のよい入口に向かって走り出す。けれど実際に上達している人たちの話を聞いてみると、入口の話よりも、毎日のいちばん地味な部分にずっと長く時間を使っているように見える。
上達というのは、派手な技を新しく覚えることではなく、地味な動きを身体に沈めていくこと、なのかもしれない。
順に書いてみたい。
1. 走る — 中くらいの速さが、結果の七割を決める
ある市民ランナーを指導している方が、マラソンの上達についてはっきりとこう言っていた。「レース結果の七割は、中くらいの速さの持久走で決まる」。
中くらいの速さ、というのは少しわかりにくい。その方の言葉では、楽でもなく、きつくもなく、毎日やろうと思えば毎日続けられる、その人にとっていちばん速い速さ。腹八分目に近い負荷で、呼吸は乱れない。心拍数や時計の数字ではなく、まず自分の感覚で測ることが大事だ、と言う。
なぜそれが土台になるのか。人は、強い刺激そのもので強くなるのではなく、刺激への適応で強くなる、とその方は話していた。真夏にいきなり走り出せば熱中症になるように、強すぎる負荷は身体を壊すだけで、身体は適応してくれない。逆に、毎日できる中くらいの負荷を続けると、身体は少しずつそれに慣れていく。これが基礎の体力をつくる。
おもしろかったのは、その方自身が、フルマラソンを三時間十六分から二時間三十三分にまで縮めた経緯だった。きっかけは、追い込みの練習をやめて、中くらいの速さを軸に切り替えたこと。派手なところを削ったら、結果のほうが大きく動いた。
「毎日できる、いちばん速い速さ」。この言葉のなかには、続けられないものは強さに変わらない、という観察が含まれているように思う。
2. 解く — 問題集を「身体に刻む」道具として使う
数学の勉強法について、十年で千人ほどを指導してきたという方が、よく似たことを別の言葉で話していた。「数学ができる人は、問題集を、答えを当てるための紙ではなく、身体に刻むための道具として使っている」。
伸び悩む人の典型は、こうだ。問題を解いて、答え合わせをして、できなかった問題に印をつけて、次に進む。同じ問題集を何周もする。解説を読むときは「なるほど」と思って閉じる。これでは、たとえ何ヶ月かけても、書き込まれた印の数が増えるだけで、自分のなかには何も残らない。
その方が示した代わりのやり方は、いちいち地味だ。例題を解いたあと、解説を読むだけで終わらず、解説を見ながらでよいから、もう一度自分の手で同じ筋道を書き起こす。穴埋め式になっていれば、空欄を埋める形でなぞる。何ページか進んだら、前の例題に戻り、今度は解説を見ずに、自分の手だけで同じ流れがたどれるかを確かめる。
「なるほど」と思っただけのことは、その日のうちに消える。手で書き直したことは、しばらく残る。何度か書き直したことは、考えなくても出てくる。これがその方の言う「身体に刻む」だった。同じ問題集を半年かけて回す人と、三ヶ月で仕上げる人の差は、頭の良さや要領のよさではなく、この一手間を入れているかどうからしい。
ここでも、入口は地味だった。新しい教材を買い足すのではなく、目の前にある一冊の例題を、自分の手で何度も書き直していく。それだけのことが、半年と三ヶ月を分けている。
3. 組む — 親指という小さな点から、全身が崩れる
ある合気道家の方と、ある格闘家の方の対談を観た。その格闘家の方が、引退試合以来およそ二十六年ぶりに受身を取ったという回で、合気道家の方がいくつかの基本技を、格闘家の方の身体を借りて見せていく。
印象に残ったのは、合気上げ、と呼ばれる技だった。その合気道家の方の体重はおよそ五十六キロ。それで、自分よりずっと重い相手を、首を取られた状態から持ち上げてしまう。力任せに引き上げているわけではない。相手の手の親指を、こちらの指で押さえる。そこを支点にして、まっすぐ上に押し上げる。それだけで、相手の身体は崩れていく。
その格闘家の方が感心していたのは、合気道家の方の動きに「隙がない」ことだった。捻っているあいだに背後から蹴られそうなところがない。間合いに穴がない。背後から蹴られない動線、突き飛ばしや膝蹴りに対応できる構え。それは派手な技ではなく、何度も繰り返した型のなかで、身体が覚えていることだという。
その合気道家の方は「守破離(しゅはり)」という言葉を出した。まず基本の型を守る。そこから少しずつ崩していく。最後に自分のものとして離れる。応用が豊富なのは、その基本を、長いあいだ身体に染み込ませているからだ、と言う。
その格闘家の方は最後に、合気道家の方への「宿題」をひとつ残していた。胸倉を掴まれて首を捻る技を仕掛けられたとき、合気道はどう答えるか。そして、剣術の古典『五輪書』を読むようにと薦めて対談を終えた。長年の蓄積を持ち寄った二人が、それでもなお相手の型に学ぶところを残している。親指一本という小さな点から全身を崩す技の奥には、毎日の地味な稽古の厚みと、その先で他流から学び続ける態度がある。
まとめ
三つを並べてみる。マラソンは、毎日できる中くらいの速さを続けること。数学は、例題を自分の手で何度も書き直すこと。合気道は、基本の型を長いあいだ繰り返すこと。題材は走ること・解くこと・組むことで、まったく違う。けれど三人とも、上達の中心に置いているのは、派手な一発の技ではなくて、いちばん地味な真ん中の反復だった。
| 題材 | 上達の中心 | 地味な真ん中の正体 |
|---|---|---|
| マラソン | 結果の七割を決めるのは中くらいの速さ | 毎日続けられる、いちばん速い速さ |
| 数学 | 例題を身体に刻むこと | 解説を見ずに自分の手で書き直す |
| 合気道 | 守破離の「守」を長く続けること | 基本の型を、隙がなくなるまで繰り返す |
おもしろいのは、三人とも、客観的な数字や近道を、わざわざ前に出していないことだった。マラソンは、心拍数や速度の数字より、まず自分の感覚を磨けと言う。数学は、解説を読んで「わかった」で済ませず、もう一度手で書けと言う。合気道は、技の華やかさではなく、隙のなさを目指せと言う。どれも、外から見えるかっこよさではなく、内側で身体が覚えているかどうかを問う言い方になっている。
何かを始めようとするとき、私たちはつい近道や要点を探したくなる。けれど三人を並べてみると、近道らしきものはどれも入口にしか効かなくて、本当に長く効くのは、しばらく続けたあとで身体に沈んでいったものだけ、というふうに見える。派手な一発で何かが変わるよりも、地味な真ん中をしばらく続けてみるほうが、結局は早いのではないか、という気がしている。
参考にした動画
- マラソン上達は「中強度の持久走」が土台:基礎レベルが7割を決める — https://www.youtube.com/watch?v=6zhUbkb3Umc
- 数学の問題集を3ヶ月で極める「本物の勉強法」 — https://www.youtube.com/watch?v=TjIj160EZsA
- 合気道家と格闘家の対談:実戦化された「美しい合気道」体験 — https://www.youtube.com/watch?v=f1NZgq3nJe0