何かが仕上がるのを待っているあいだ、その時間をどうにか縮められないか、と私はつい考えてしまう。あと十分早ければ。あと三日早ければ。手元の時間が惜しくて、待っているという状態そのものに落ち着かなくなる。

けれど世の中には、こちらがどれだけ急いでも、向こうの都合でしか進まないものがある。窯の中で炭になりかけている木。冷蔵庫の中で少しずつ水気を失っていく野菜。雪に埋もれて春まで動けない、山あいのダムの工事現場。どれも、人の焦りとはまったく別の時計で進んでいる。

その別の時計を相手にしている人たちは、では、待っているあいだに何をしているのか。そこが気になった。

急げない時間というのは、何もしていない時間のことではないらしい。

順に書いてみたい。


1. 炭 — 窯の煙が、できあがりを知らせる

三重県紀宝町の山の中で、紀州備長炭を焼く職人の方の仕事を追った記録がある。

まず原木のウバメガシを伐る。在来の木で、重く、硬い。曲がった木は、切れ目を入れて真っ直ぐに整えてから使う。それを窯にぎっしりと敷き詰め、蓋をして、口に灰を塗って火を入れる。

ここから先、窯は二週間ほど開けられない。中は千度を超える熱の世界で、人は当然、中の様子を直に見ることができない。

では職人の方は何をするのか。窯口で三日も四日も火を焚きながら、煙の匂いと色を、ただ見ている。中の木がどこまで炭になったか。それを知る手がかりは、立ちのぼる煙しかない。最後の「寝らし」と呼ばれる仕上げで、煙が青く澄んでくれば、それが「できた」という合図になる。

炭を取り出すのは二週間後の深夜だという。窯から出てきたばかりの炭はマグマのような色をしていて、灰をかぶせて三日かけて冷ます。完成した炭は硬く締まり、ぶつけると金属のような音が鳴る。

この仕事を見ていて思ったのは、待つというのは窯を信じることなのだ、ということだった。中は見えない。けれど煙は出ている。職人の方の手は止まっていない。見えないものの代わりに、見えるものを、ずっと見続けている。


2. 野菜 — ゆるめることはできても、止めることはできない

買いものをまとめてして、食材を保存しながら暮らす人が、保存のやり方を紹介している動画がある。容器の空気を抜く真空保存というやり方で、野菜や果物のもちを伸ばしていく。

たとえばもやし。水に浸してから空気を抜くと、二日ほどで悪くなっていたものが一週間ほどもつようになる、と紹介されていた。葉もの、ねぎ、しらす。これまで冷凍するしかなかったものが、冷やしたまま、きれいな姿で使い切れるようになる。

ただ、見ていて気づいたのは、伸ばせる時間には限りがある、ということだった。もやしも一週間あたりが上限で、切ったアボカドは空気を抜いても早めに食べたほうがいい、と動画自身が断っている。空気を抜くことでできるのは、傷んでいく速さをゆるめることであって、傷むのを止めることではない。

そして、ゆるめるためには小さな手間が要る。ミニトマトはヘタのところから悪くなりやすいので、ヘタを取ってから保存する。りんごは切り口にりんご酢を少しかけて、色が変わるのを防ぐ。食材ごとに、ひとつずつ違う下ごしらえがある。容器に入れて空気を抜けば終わり、ではない。

もっとも、もちの良し悪しは置き場所や食材の状態でも変わるだろう。最後は自分の目と鼻で確かめてから使うのがいいのだろうと思う。それでも、ここにも一つの「待ち方」があった。劣化という止められない時計を、少しだけこちらの味方につけるための、手のかけ方である。


3. 雪 — 春が来るまで、現場は動かない

三本目は、戦後まもなく作られた電源開発の記録映画。新潟と福島の県境を流れる只見川の流域で、三つの大きなダムを同時に造っていたころの記録である。

この映画の主役は、はっきりと雪だ。一年に二十八億トンとも言われる雪が降り積もり、長い冬のあいだ、あたりのものはみな雪の下に眠る。雪の重みで建物は押しつぶされ、二階建ての現場事務所が屋根まで埋まる。冬になると工事はほとんど止まり、山奥に残った数十人のもとへは、空からの輸送だけが頼りになる。

映画の語りは、雪を「白魔」と呼び、「悪魔の威力」と呼ぶ。そして「人間の知恵と科学の力で、この魔を文明に従わせる」と、かなり力んでいる。けれど実際に映し出されるのは、毎年きちんと雪に負けて、また掘り出して、という繰り返しのほうだ。

その代わり、人々は時間の区切り方をよく心得ているように見えた。動けるのは雪のない季節だけ。だから「春の雪解けで水かさが増す前に、それに負けない高さまで基礎を仕上げる」というふうに、季節を区切りにして段取りを組む。冬のあいだも、雪にも風にも乱されない無線で下界とつながり、春になったら何から手をつけるかを決めていく。

雪に勝とうとして勝てたわけではない。雪の時計のほうに、こちらの予定を合わせていた。それが、この長い工事を最後まで進めた力だったように見える。


まとめ

三つを並べてみる。炭は、窯に入れてから二週間。野菜は、数日のもちを一週間に伸ばすのがやっと。雪国のダムは、一年のうち動けるのが雪のない季節だけ。どれも、向こうの側に決まった時計があって、人がいくら焦っても、その針は速く進まない。

題材向こうの時計待つあいだの手
紀州備長炭窯に入れてから二週間煙の匂いと色を見続ける
食材の保存数日を一週間に伸ばすのが上限食材ごとの下ごしらえ
雪国のダム工事動けるのは雪のない季節だけ無線でつながり、春の段取りをする

おもしろいのは、どの現場でも、待っている人の手が止まっていないことだ。炭焼きの方は煙を見続ける。保存する人は食材ごとに手をかける。ダムの現場は、雪の下でも下界とつながって次の段取りを決めている。待つというのは、ただ時間が過ぎるのを眺めることではなかった。向こうの時計の進み具合を、見えるものを通して読み取り、その読み取りに合わせて自分の手を動かすこと。それが「待つ」の中身だった。

私たちはふだん、待たされることをそのまま損のように感じる。早ければ早いほどいい、と。けれど、急げない時間を前にして本当に試されているのは、針を速く回す力ではなくて、待っているあいだ何を見ていられるか、なのではないか、という気がしている。


参考にした動画