戸田は、相手が話し終える前に、答える。
二人で客先をまわる仕事を、もう三年、続けている。私が運転して、戸田が喋る。製図の修正だの、納期の調整だの、こまかい打ち合わせのたびに、私は商談の席の後ろの位置から、戸田の背中と、客の顔とを、両方見ている。
戸田は、頭がいい。返しが速い。客が質問を半分まで言ったところで、もう答えの口が開いている。たいてい、その答えは正しい。正しいのだが、客の顔が、そのたびに、ほんの一瞬、止まる。
その一瞬を、戸田は見ていない。
言葉を返すことに気を取られて、相手の顔から、目が離れている。だから、自分の速い返事が、相手の中で何を起こしたか、本人だけが知らない。半分まで言いかけた言葉を、行き場のないまま飲み込んだ客が、コンマ何秒か、表情を失う。その小さな停止を、私はこの三年で、何百回、後ろから見てきたか分からない。
「戸田さん」と、私は何度か言った。「客が言い終わるまで、ひと呼吸、待ったらどうかな」
「待つと、間が抜けるでしょう」と戸田は言う。「答えが分かってるのに、黙ってるのは、不誠実ですよ」
その通りだ、と思う。彼の理屈には、穴がない。穴がないから、こちらの言いたいことが、入っていく隙間もない。「待て」と言う私と、「待つのは不誠実だ」と言う戸田のあいだには、たぶん、技術ではどうにもならない、もっと根の深いところでの違いがある。相手の顔の一瞬の停止が、見える人間と、見えない人間。それは、教えて埋まるものではないらしい。
私は長いあいだ、これを、戸田の側の欠落だと思っていた。
想像力、と呼んでもいい。自分の言葉が相手の中で立てる、小さな波を、思い描く力。その力が、戸田には、生まれつき欠けている。だから彼は速く、迷わず、傷つかない。私はそれを、すこし哀れみさえしながら、後ろの席から見ていた。見えてしまう自分のほうが、苦労が多いぶん、上等な人間だと、心のどこかで思っていたのだと思う。
ところが、この春あたりから、おかしなことが起きはじめた。
私の言葉のあとでも、客が、止まるようになったのだ。
最初は気のせいかと思った。けれど、何度か続くと、認めるしかなかった。私は、いつのまにか、戸田のように喋っていた。相手が言い終わる前に、答えの口を開けていた。三年、毎日となりで、速くて穴のない返しを浴びつづけて、それが商談の正しい速度なのだと、体のほうが覚えてしまったらしい。待つことに、私も、間の抜けた不安を感じるようになっていた。
考えてみれば、当然のことだった。
毎日、隣で速い人間を見ていれば、遅い自分が、不出来に思えてくる。客先で評価されるのは、いつも、迷わず即答する戸田のほうだった。ひと呼吸おく私は、頼りなく見えた。環境というのは、そういうふうに、こちらを少しずつ削って、合わせにかかってくる。
淘汰されるのは、いつだって、変化に耐えられない側だ——と、私はある晩、考えた。
戸田のように変われない、古い私のほうが、いずれ要らなくなる。だから合わせるのが、賢い。そう自分に言い聞かせて、私は、相手の顔を見るのをやめ、答えを先回りすることを、覚えていった。覚えるのは、驚くほど、楽だった。観察をやめるというのは、重い荷物を、道に置いていくことに似ていた。
その日の帰り、客先からの車が、信号に引っかかった。
私は、助手席を見た。戸田は、スマホで次の客の資料を、速く繰っている。その横顔は、いつもどおり、迷いがなくて、傷ひとつなかった。私は、その顔を、三年で初めて、まじまじと観察した。
観察しながら、ひとつ、わかってしまった。私が「変化に耐えられない古いモノ」と呼んで切り捨てようとしていたのは、戸田のような速さに合わせられない、私の鈍さのことではなかった。切り捨てかけていたのは、相手の顔の、あの一瞬の停止が、見えてしまう力のほうだった。淘汰されかけていたのは、私の中の、いちばん人間に近い部分だったのだ。それを、楽だからと、自分の手で、道に置いてきていた。
「戸田さん」と、私は口を開いた。「今日の三件目、最後にお客さん、何か言いかけてたよ。途中で、やめてた」
戸田は、資料から目を上げずに、「そうでしたっけ」と言った。
私は、それ以上は言わなかった。言っても埋まらない違いだ、ということは、もう知っている。けれど、私の側のひと呼吸だけは、自分の体に戻すと決めた。信号が、青に変わる。私は、アクセルに足を載せる前に、たしかに、ひと呼吸、置いた。