夜中の一時、コインランドリーには、私のほかに誰もいない。

自宅の洗濯機が先週こわれて、修理の部品が来るまでの、しばらくのあいだ、私はここに通っている。「コインランドリー ふくろう」という、青い看板の、国道沿いの店だ。名前のとおり、夜にだけ、なんとなく居心地がいい。

乾燥機の丸い窓の中で、洗濯物が、ぐるぐる回っている。

残り六分、と、緑の数字が出ている。私は、壁ぎわの、背もたれのないベンチに腰かけて、その六分を、ただ待っている。することは、何もない。スマホは、さっき見終わってしまった。乾燥機の低い唸りと、ときどき混じる、ボタンが金具に当たる、カチ、カチ、という音だけが、店に満ちている。

はじめの何日かは、この待ち時間が、無駄に思えて仕方がなかった。

洗って、乾かして、畳む。それだけの家事に、往復と待ちを合わせて、一時間近くを取られる。その一時間で、できたはずのことを、私は頭の中で、いくつも数えた。数えるたびに、少し、損をした気持ちになった。壊れた洗濯機のことも、部品の来ない修理屋のことも、恨めしかった。

ところが、昨日の夜、妙なことが起きた。

乾燥機が止まって、私はいつものように、熱いドラムに手を入れた。乾きたてのタオルを、両腕で、ごそっと抱え上げる。その瞬間、腕の中の、熱と、重みと、洗剤の匂いの塊が、なぜだか、ひどく、いとおしく感じられたのだ。

理由は、わからなかった。

ただのタオルである。私の、古い、少し毛羽立った、白いタオルだ。特別なことは、何もない。それなのに、その熱いかたまりを胸に抱えたとき、私は、これはいいものだ、と、はっきり思った。乾いたものは、あたたかい。あたたかいものは、重い。その、あたりまえのことが、その夜にかぎって、あたりまえの顔をしていなかった。

今夜も、同じことが起きるかどうか、確かめにきた、というのが、正直なところかもしれない。

残り、二分。

考えてみると、私はこれまで、幸せというものを、もっと大きな、遠くにあるもののように思っていた。何かを達成したとか、誰かに認められたとか、そういう、山の頂きのようなものだと。だから、こんな、国道沿いの、深夜のコインランドリーのベンチに、それが落ちているとは、思ってもみなかった。

たぶん、順番が、逆だったのだ。

幸せがどこかに現れるのを待っていたのではなくて、いつもそこにあったものの重さに、こちらが、たまたま気づく夜がある、ということなのだろう——と、書きかけて、やめる。そういう、まとめ方をしたいのではない。

乾燥機が、ピー、と鳴って、止まった。

私は立ち上がって、丸い扉を開けた。熱が、顔にふわりと来る。両腕を差し入れて、タオルを、ごそっと抱え上げた。熱い。重い。洗剤の、こもった匂いがする。私は、その塊を、しばらく、抱えたまま立っていた。畳むのが、もったいない気がして。

今夜も、たしかに、あった。

それが何なのか、名前はつけないでおく。名前をつけると、たぶん、明日の夜には、もう腕の中に無いような気がするからだ。私は、あたたかいタオルを、少し乱暴なくらいに、大きな袋へ詰めた。まだ熱の残っているうちに、家まで持って帰りたかった。国道の信号は、この時間、ずっと点滅している。私は、その袋を胸に抱えて、点滅を待たずに、渡った。